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小山田村地頭横暴反対運動 : ウィキペディア日本語版 | 小山田村地頭横暴反対運動[こやまだむらじとうおうぼうはんたいうんどう] 小山田村地頭横暴反対運動(こやまだむらじとうおうぼうはんたいうんどう)とは、江戸時代に盛岡藩領であった陸奥国閉伊郡にあった小山田村(現岩手県宮古市)で発生した騒動のこと。 == 背景 == 小山田村は江戸期~明治22年まで陸奥国閉伊郡にかつて存在した村である。閉伊川下流部の宮古湾に流入する直前の南岸に位置し盛岡藩領時代は宮古通りに面していた。 はじめ桜庭氏、慶長年間より野田覚蔵の給地。村高は、「正保郷村帳」58石余、「貞享高辻帳」72石余、「邦内郷村志」65石余、「天保郷帳」「安政高辻帳」ともに72石余、「旧高旧領」65石余。「邦内郷村誌」によれば、家数31、馬36。「本枝村付並位付」によれば、位付は下の上。 明治元年、戊辰戦争で朝敵とされた南部氏から没収され松代藩取締地となる。以後南部氏復帰による新盛岡藩、盛岡県を経て、同5年に岩手県所属。同12年に閉伊郡分割により東閉伊郡に属す。同22年の町村制成立時の合併によって磯鶏村の大字となり、現宮古市の字として現存している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小山田村地頭横暴反対運動」の詳細全文を読む
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