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小山田 義孝(おやまだ よしたか、1896年(明治29年)11月9日〔衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、21頁。〕 - 1963年(昭和38年)1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、陸軍参与官、秋田県会議員、西仙北町長、強首村長。 == 略歴 == * 秋田県仙北郡強首村 出身 * 1932年(昭和7年)2月20日 - 第18回衆議院議員総選挙(秋田2区・立憲政友会公認・21250票獲得)初当選 * 1936年(昭和11年)2月20日 - 第19回衆議院議員総選挙(秋田2区・立憲政友会公認・15061票獲得)2期連続当選 * 1937年(昭和12年)4月30日 - 第20回衆議院議員総選挙(秋田2区・立憲政友会公認・15666票獲得)3期連続当選 * 1939年(昭和14年)9月19日 - 阿部内閣で陸軍参与官に就任 * 1940年(昭和15年)1月24日 - 陸軍参与官 退任 * 1942年(昭和17年)4月30日 - 第21回衆議院議員総選挙(秋田2区・翼賛政治体制協議会推薦・16405票獲得)4期連続当選 * 強首村長、西仙北町長、秋田県会議員を務めた。 * 1964年(昭和39年) - 勲三等旭日中綬章 受勲 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小山田義孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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