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小峯 隆幸(こみね たかゆき、1974年4月25日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック)。 == 来歴 == 兄の影響でサッカーを始める〔。 帝京高校では古沼貞雄の下、2年次に全国選手権優勝〔OBレポート:小峯隆幸 Jリーグ キャリアサポートセンター〕。同期には阿部敏之、松波正信、丸山良明らがいた。1993年に順天堂大学に進学し、総理大臣杯とデンソーカップで優勝を経験〔。順大の2学年上には名波浩がいたが、小峯は自らスパイク磨きの担当を買って出るほど名波を慕っていた。 大学卒業後もサッカーを続けることを希望していたが進路が決まらず、母校である帝京高校の練習に参加していた〔。その後練習生として東京ガスサッカー部に加入し〔小峯隆幸(元FC東京)OB選手たちの現在 (1/2) OCNスポーツ 2012.05.30〕、1998年より正式に東京ガス(後のFC東京)へ入団した。大熊清監督からの信頼は厚く〔 東京中日スポーツ (2001年8月16日)〕、JFL、J2、J1とクラブの所属ディビジョンを上げる中でも多くの試合に出場し〔小峯隆幸(元FC東京)OB選手たちの現在 (2/2) OCNスポーツ 2012.05.30〕、サンドロとのCBコンビで堅守を築いた。身長172センチと上背は高くないが、相手選手への激しいコンタクトと大きなアクションからピッチ内での存在感は大きく、がむしゃらなプレーと明るい言動でチームのムードメーカーにもなっていた〔。2000年2nd第5節の京都戦では、小峯にしては珍しく〔サイドをオーバーラップし、PKを奪取するという意外なプレー〔Jリーグ ディビジョン1 セカンドステージ第5節 FC東京 (2000年7月22日)〕 でサポーターを湧かせた。2001年のDF伊藤哲也の移籍加入や、2002年の原博実新監督就任、新加入のDF茂庭照幸、加地亮の成長によって次第に出場機会を失い、2003年シーズン途中にJ1ベガルタ仙台へとレンタル移籍〔 FC東京 (2003年8月4日)〕〔 ベガルタ仙台 (2003年8月4日)〕、翌2004年シーズン開幕前にJ1柏レイソルへ完全移籍した〔 FC東京 (2004年1月19日)〕〔小峯 隆幸選手が移籍加入 柏レイソル (2004年01月19日)〕。 2005年にはJ2徳島ヴォルティスへ完全移籍〔小峯 隆幸選手が徳島ヴォルティスへ移籍 柏レイソル (2005年01月13日)〕。ハードマーク〔今季ここまでのベスト布陣 J's GOAL (2005年)〕 とチームの雰囲気を盛り上げるキャラクター〔【スペシャルインタビュー Vol.9】徳島ヴォルティス:秋葉忠宏選手 J's GOAL (2005年9月5日)〕 は健在で、4シーズンぶりにまとまった出場機会を得るも、1年限りで退団〔 徳島ヴォルティス (2005年12月1日)〕。 2006年に東海リーグ1部のFC岐阜に移籍加入〔吉田康弘 選手・小峯隆幸 選手の加入について FC岐阜 (2006年2月1日)〕。的確なカバーリング〔【J2:第3節 山形 vs 岐阜】プレビュー J's GOAL (2008年3月19日)〕〔【J2:第7節 福岡 vs 岐阜】プレビュー J's GOAL (2008年4月11日)〕 とフィジカルの強さ〔【J2:第30節 鳥栖 vs 岐阜】レポート J's GOAL (2008年8月11日)〕 を発揮し、JFL、J2への昇格に貢献した。2008年には主将を務め守備を統率するも〔〔 岐阜新聞 (2008年03月10日)〕、同シーズン終了をもってFC岐阜との選手契約を満了。現役を引退した。 大学時代に教員免許を取得しており〔、引退後は教諭を務めつつ高校生年代を指導している。2012年、JFA公認B級コーチライセンスを取得〔日本サッカー協会 2012.04.12〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小峯隆幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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