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小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。 岐阜県各務原市出身。 == 人物 == * 旧姓は厳田。岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)卒業後、実業家を目指して東京高等商業学校(現一橋大学)に入学したが、21歳の時に羽島郡中屋村(現・各務原市)の叔母の小島家に養子にだされ、小島姓となる〔一部の文献には、出生地が羽島郡中屋村とあるのは、この養子先の住所を記載した為である〕。小島家が代々医者であったため、家業を継ぐために東京高等商業学校を中退している。 * 医学界のみならず、スポーツ界においても、1938年(昭和13年)に全日本スキー連盟会長に就任、近代日本スキーの基礎をつくりあげている。 * 伝染病予防、予防衛生学、公衆衛生など、病気の予防に対する研究を終生行っている。研究内容は防疫、予防、上下水道、大気汚染、食中毒と多岐にわたる。特に、予防衛生学の基礎確立に尽力している。コレラ、腸チフス、赤痢の消化器系伝染病の撲滅を目指し、赤痢についてはSS寒天培地、検査法の改良に力を注いでいる。 * インフルエンザに対してまだ国内で関心が無い時、インフルエンザウイルス研究を始めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小島三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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