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小川勝次 : ウィキペディア日本語版
小川勝次[おがわ かつじ]
小川 勝次(おがわ かつじ、1899年(明治32年)4月16日 - 1988年(昭和63年)9月7日)は、新潟県高田市(現・上越市)出身のスキー選手・指導者。第3代全日本スキー連盟会長。
== 来歴 ==
1911年、郷里でレルヒ少佐の講習会を見学して以来、スキーに親しむようになる。旧制高田中学校を経て、1923年早稲田大学商学部卒。中学・大学を通じクロスカントリースキーの選手として活躍し、1923年の第1回全日本スキー選手権大会にも出場している。大学卒業後、安田銀行(現・みずほ銀行)に入行し、1937年まで勤務。この間、1923年に大日本体育協会のスキー部員となり、さらに1925年に全日本スキー連盟が設立されると常務委員となる。その後庶務委員、専務理事を経て、第二次世界大戦直後の1946年に副会長となり、日本のスキー界の復興に尽くした。1952年のオスロオリンピックでは、スキーチームの監督をつとめた。1954年に小島三郎の後任として、全日本スキー連盟の会長に就任。1958年の退任後は、同連盟顧問を長くつとめた。また、日本体育協会理事も歴任した。
日本スキー史の生き字引存在であり、「日本スキー発達史」などの著書もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小川勝次」の詳細全文を読む



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