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小川 宗直(おがわ むねなお、1962年5月23日 - )は、愛知県瀬戸市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、123ページ〕出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 享栄高では、エースとして1980年夏の甲子園県予選決勝に進むが大府高に完封負け。名古屋商科大に進学し、愛知大学野球リーグでは在学中2回優勝。リーグ通算48試合に登板し9勝13敗を記録した〔。大仙を経て、1986年ドラフト3位で西武ライオンズ入団〔。速球が売りの即戦力投手として評価されていた。 1年目に開幕1軍入りを果たし、中継ぎ・ワンポイントで好投を見せ、その実績を買われ5月には先発を任されるが戦力とはならず2軍降格となる。その後も制球難から1軍に定着できず、1989年11月広橋公寿と共に宮下昌己・大宮龍男との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍〔。 しかし中日での登板は僅か1試合に留まり、1990年11月岡田耕司との交換トレードで近鉄バファローズに移籍〔。近鉄では2軍でも戦力になれず、1軍出場の無いまま1991年オフに退団〔。 1992年は中華職業棒球大聯盟の味全ドラゴンズにて1年間プレイし現役引退〔。 引退後は社会人野球・名古屋ウェルネススポーツカレッジ硬式野球部のコーチを務めていた。2007年より社会人野球「NAGOYA23」の監督に就任するが、川又米利総監督が正式に監督になったため助監督に降格。なお、NAGOYA23は川又の退団後に湊川誠隆が監督を引き継ぎ、チーム名をマッシモンテベースボールクラブに変更した。その後、マッシモンテベースボールクラブは2014年6月4日付けで、活動を休止することになった。 現在は中日ドラゴンズジュニアチームのコーチを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川宗直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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