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小川平吉 : ウィキペディア日本語版
小川平吉[おがわ へいきち]

小川 平吉(おがわ へいきち、1870年1月2日明治2年12月1日) - 1942年昭和17年)2月5日)は、日本弁護士政治家。元衆議院議員は射山。東京府平民〔『人事興信録. 7版』(大正14年)を四〕。
国勢院総裁、司法大臣鉄道大臣等を歴任した。
== 概要 ==
1892年(明治25年)弁護士となり、1901年(明治34年)近衛篤麿に従って上海の東亜同文書院創立に参画〔『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)117頁〕。1903年(明治36年)衆議院総選挙に出馬当選、以来当選10回〔。日露主戦論の急先鋒となり、1905年(明治38年)日比谷焼討ち事件の主謀者として投獄され無罪〔。政友会に入り同会幹事長を経て1920年(大正9年)原敬内閣の国勢院総裁〔。1925年(大正14年)加藤高明内閣の司法大臣、1927年(昭和2年)田中義一内閣の鉄道大臣〔。1929年(昭和4年)私鉄疑獄、売勲事件に連座して逮捕され、1936年(昭和11年)懲役2年で入獄〔。政界を引退〔。1940年(昭和15年)恩赦〔。
鉄道大臣当時、全国の駅名を右横書きにし、説明のローマ字を廃止した〔。
平吉には“タコ入道”、“オガ平”、“ズル平”といったあだ名がつけられていた〔『信州の人脈(上)』16頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小川平吉」の詳細全文を読む



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