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小川慶治朗(おがわ けいじろう、1992年7月14日 - )は、J1・ヴィッセル神戸所属のサッカー選手〔安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.110〕。兵庫県出身〔。ポジションは、FW、MF、。2010年にクラブ史上初のトップチームとの2種登録選手となった〔安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.112〕。 == 来歴 == プラチナ世代の選手の一人であり、2009 FIFA U-17ワールドカップでは高木善朗・堀米勇輝の控えとして2試合に途中出場した〔安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.111〕。2010年1月の新体制発表会でヴィッセル神戸に所属する選手として初めて2種登録選手としてトップチームに登録された〔。 2010年3月27日、横浜F・マリノス戦の後半30分に途中出場し、クラブ最年少出場記録を樹立(17歳5か月13日)。その後しばらくは出たり出なかったりの状況が続いたが、9月にトップチーム昇格が内定。残留争いが厳しくなった10月に和田昌裕の抜擢を受け、怪我で離脱した大久保嘉人が務めることの多かった左サイドで出場。2010年10月30日ガンバ大阪戦の後半12分にJリーグ初得点を挙げる。これは2012年に同じくユース出身のMF松村亮が更新するまではクラブ史上最年少得点記録だった。残留のかかった大一番の浦和レッズ戦でも残留を決定づけるゴールを決めるなど〔、終盤8試合は全試合スタメン出場。2種登録ながら15試合に出場し2得点をあげた。シーズンオフの関西Jリーグ応援番組「スタジアムへ行こう!!」において山野孝義から「人間機関車」と評され、来シーズン期待する選手として名前を挙げられた。 2011年シーズンはコンスタントに出場機会を得ていたが、7月のゲームで右足関節脱臼骨折の負傷を負い長期離脱。11月20日のセレッソ大阪戦で復帰。ルーキーとして迎えたシーズンは怪我の影響もあり無得点だった。 2012年シーズン、大久保嘉人が背番号を「10」に変更した事により、神戸のエースナンバーである背番号「13」を受け継いだ。第14節のジュビロ磐田戦で、クラブ史上最年少、J1では歴代3番目の若さとなる19歳と338日でハットトリックを達成した。攻撃陣が怪我や不振に喘ぐ中、一人気を吐き自己最多の9得点を挙げたがチームはJ2に降格した。 J2での戦いとなった2013年シーズンは、開幕前に自身の目標得点を20と設定。第31節から34節にかけて4試合連続得点をあげるなど主軸として活躍。目標得点には届かなかったものの、中盤のサイドハーフの位置で起用されながらチームトップタイの16得点を挙げる活躍で、クラブの一年でのJ1復帰に貢献した。 2014年は右サイドで主にプレー。4月19日のアウェー鹿島アントラーズ戦で、県立カシマスタジアムでの99年以来15年ぶりの勝利を呼び込む決勝ゴールを決めた〔2014 Jリーグ ディビジョン1 第8節 ヴィッセル神戸公式サイト〕。 2015年は新監督ネルシーニョの元でレギュラーとしてプレー。1stステージ第2節川崎戦では、2015年シーズンより導入された「トラッキングシステム」のスプリント回数が「47」を記録〔Jリーグ公式サイト〕。年間通しての最多スプリント回数となった。2ndステージ4節仙台戦でJ1通算100試合出場を達成。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川慶治朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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