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小川 敏夫(おがわ としお、1948年3月18日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士、裁判官、検察官。民進党所属の参議院議員(3期)。民進党参議院幹事長。 法務大臣(第89代)、法務副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣・野田内閣)、裁判官弾劾裁判所裁判長、民主党参議院幹事長・参議院政策審議会長、参議院外交防衛委員長・農林水産委員長・内閣委員長・決算委員長等を務めた。 == 来歴 == 東京都練馬区生まれ。立教高等学校、立教大学法学部卒業。立教高校の同級生に永倉万治、同期生に西岸良平、本田明彦、宇野治、細野晴臣がいる。1970年、司法試験に合格。1973年に判事補任官、静岡地方裁判所などに勤務。1976年に検事へ転官し、東京地方検察庁検事等を歴任。1981年に退官し、弁護士に転身する。 1988年に女優の市毛良枝と結婚したが、後に離婚。この件について週刊文春など様々な雑誌・新聞紙によって小川のDVが原因で離婚と報じられている。しかし小川側は、事実無根であるとして発行元数社を提訴し勝訴している。 新党さきがけに入党するも1996年に離党し、同年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で東京都第9区から出馬したが、新進党公認の吉田公一に敗北し、比例復活も果たせず落選。1998年の第18回参議院議員通常選挙に民主党公認で東京都選挙区から出馬し、初当選。2007年には民主党参議院幹事長、参議院外交防衛委員長、参議院決算委員長を務める。 2010年6月、旧民主党時代からの盟友であり、同じ東京選出の菅直人が民主党代表に選出される。菅執行部の下、第22回参議院議員通常選挙に民主党公認で東京都選挙区から出馬し、3選〔。同年9月、菅第1次改造内閣で法務副大臣に任命される。柳田稔法務大臣が失言により辞任した際は一時、後任の法相就任が取り沙汰された(後任の法相には内閣官房長官の仙谷由人が兼務する形で就任)。2011年1月に発足した菅第2次改造内閣でも法務副大臣に再任され、同年9月の内閣総辞職まで務める。2011年11月、西岡武夫参議院議長の死去により、平田健二民主党参議院幹事長が西岡の後任の参議院議長に就任し、民主党参議院幹事長に起用された。 2012年1月、野田第1次改造内閣で法務大臣に任命され、初入閣した。同年6月、野田第2次改造内閣発足に伴い、法務大臣を退任(後任には滝実法務副大臣が昇格)。同年12月、参議院予算委員会筆頭理事に就任。 2015年10月、民主党参議院幹事長に就任〔民主党 参院幹事長に小川氏 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川敏夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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