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小川洋子 : ウィキペディア日本語版
小川洋子[おがわ ようこ]

小川 洋子(おがわ ようこ、1962年3月30日 - )は、日本小説家
== 経歴 ==
岡山県岡山市森下町出身〔『深き心の底より』P.209 1999年 海竜社〕。兵庫県芦屋市在住。既婚で長男がいる。旧姓は本郷〔『深き心の底より』P.182 1999年 海竜社〕。祖父は金光教の教師であり、両親とも金光教の信者という家庭で育つ。父親は国家公務員〔『現代女性作家読本 2 小川洋子』鼎書房、2005年11月20日、根沢紀子編、157頁。〕。生家も教会の敷地内の離れだった。教会では祖父母、伯父伯母。従兄らが暮らしていた〔。
小さいころ納戸にあった『家庭医学大事典』が最初の読書で、病気の説明や内臓の図を見る。小学1、2年からオレンジ色の表紙の『世界少年少女文学全集』を愛読する。小学校から図書室をよく利用する。また、こたつの中で空想にふける癖があり、高じて小説を書くようになったと述懐している〔『深き心の底より』P.19-21・63-65 1999年 海竜社〕。8歳か9歳で幼少習作『迷子のボタンちゃん』を書き、画用紙に清書しホチキスで綴じる。『家庭医学大事典』の病気の人の話も作る。小学校の図書室で『シートン動物記』、『ファーブル昆虫記』、「動物や恐竜の図鑑」、「科学者の伝記」を『家庭医学大事典』の影響で借り、児童小説の『若草物語』、『長くつ下のピッピ』、『メアリー・ポピンズ』も借りて同様に読んでいた。小中高とどんな女子グループにも入らなかった〔『妄想気分』2011年 集英社〕。
1973年6月、市内祇園町に転居。岡山市立高島小学校に転校。1974年4月、岡山市立竜操中学校に入学〔。
1977年4月、岡山県立岡山朝日高等学校入学〔『深き心の底より』「朝日高校の制服」P.141-143 1999年 海竜社〕。クラブ活動で弓道を始める〔。高校時代に『アンネの日記』を読み感銘を受ける〔『アンネ・フランクの記憶』角川文庫 1998年〕。高校3年生の時、萩原朔太郎中原中也の詩集を読む。読書範囲が広がり、立原道造川端康成太宰治谷崎潤一郎を愛読する。自分の文学を求めて、大学は文芸を志す〔作家の読書道第29回 〕。推薦入学決定後に『万葉集』を読む〔『深き心の底より』P.13 1999年 海竜社〕。
1980年4月、早稲田大学第一文学部文芸専修に入学。小金井市にある金光教の女子寮に入る〔。入学してすぐに文学サークル「現代文学会」に入る〔『THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 4 ファイアズ(炎)』(レイモンド・カーヴァー著、中央公論社、1992年9月20日)付録のエッセイ「村上春樹とカーヴァーの瞳」より。〕。大学時代は一軒家の金光教東京学生寮で、女子5人で自炊で質素に暮らし、金光教を当り前のものとして受け止めることにした〔『深き心の底より』P.200 1999年 海竜社〕〔。18歳の大学の夏休みに、岡山の古本屋の100円本売り場で金井美恵子『愛の生活』を買い、「自分もこういうものが書きたい」と自分の基本とする小説を発見し、その後も座右の書の1つにしている〔〔『妖精が舞い下りる夜』「小説を書きたくなる瞬間」「『愛の生活』と私の関係」角川文庫 1997年〕。在学中は自作の小説を平岡篤頼に見てもらっていた〔第4回「坪内逍遙大賞」授賞式 〕。大学4年生のとき、海燕新人文学賞に応募するが、第一次審査で選に漏れる〔。
1984年3月、早稲田大学を卒業。倉敷市の川崎医科大学中央教員秘書室に就職〔『深き心の底より』P.66-68・70 1999年 海竜社〕。1986年9月21日、川崎製鉄〔『妖精が舞い下りる夜』p.154 角川文庫 1997年〕の製鉄エンジニアの男性との結婚を機に退職し、小説の執筆に取り組む。夫は当初、小説を書いているのを知らなかった。
1988年、再度、海燕新人文学賞に応募する。大学の卒業論文として提出した「情けない週末」を書き直して『揚羽蝶が壊れる時』というタイトルで投稿〔『現代女性作家読本 2 小川洋子』前掲書、9頁。〕。同年9月8日、海燕新人文学賞を受賞。『揚羽蝶が壊れる時』は『海燕』1988年11月号に掲載される。それまで手書きだったが、賞金でワープロを買い、それ以後パソコン導入まで使用する〔『深き心の底より』P.79-80 1999年 海竜社〕。
1989年8月、長男を出産〔『現代女性作家読本 2 小川洋子』前掲書、158頁。〕。同年9月、最初の単行本『完璧な病室』(福武書店)を刊行。
1991年1月16日、妊娠した姉に対する妹の静かな悪意を描いた『妊娠カレンダー』が第104回(1990年下半期)芥川賞を受賞する。同作品はラジオドラマ化され、4日後の1月20日にNHK-FMで放送された〔。
2002年3月、夫の転勤のために兵庫県芦屋市に転居〔『現代女性作家読本 2 小川洋子』前掲書、161頁。〕〔。
2004年、記憶が80分しかもたない数学博士と家政婦の母子との交流を描いた『博士の愛した数式』で読売文学賞本屋大賞を受賞し、ベストセラーとなった。のちに文庫版は当時最速の2か月で100万部を突破した。同作は2006年に映画化された。2004年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞を受賞する。2005年には『薬指の標本』がフランスで映画化される。2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞を受賞する。2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。
2007年7月より芥川賞選考委員となる。2004年から太宰治賞、2011年から読売文学賞の選考委員を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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