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小川 登喜男(おがわ ときお、1908年 - 1949年)は、日本の登山家。東京都出身。 東京高等学校 (旧制)、東北帝国大学、東京帝国大学で、山岳部に属し、スキー登山により、蔵王、八幡平で活躍し、東大では、谷川岳一之倉沢、穂高岳屏風岩、剣岳雪稜などを初登攀した。 肺結核で若死にし、長く、その登山の偉業が知られることがなかったが、東北帝国大学時代に残した日記の精査により、近年、伝記が上梓され、昭和の天才登山家と評されるまでになっている。 ==参考文献== * 『銀嶺に向かって歌え』(みすず書房 2013年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川登喜男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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