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小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年(明治17年) - 1962年(昭和37年)3月30日)は日本の剣道家。段位称号は範士十段。 == 経歴 == 愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市)に生まれる。名古屋へ出て北辰一刀流加藤貫一(加藤七左衛門の養父)に入門。 愛知県警察部に勧誘されたが、小川は警察官になる気はなく、一旦断った。「制服は着なくてもよい、試験だけは形式的に受けろ」と説得され、1903年(明治36年)、愛知県警察部に奉職。京都の大日本武徳会出張修行を命じられ、3年半修行した。 愛知県巡査教習所剣道教師を経て、1914年(大正3年)に内藤高治の要請で武道専門学校助手に就任。 1919年(大正8年)、道場「弘道館」を開く。 1929年(昭和4年)、内藤高治の死去にともない、武道専門学校教授に就任(1944年(昭和19年)まで務める)。 1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、持田盛二との試合を披露。 1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、斎村五郎との試合を披露。 1957年(昭和32年)、全日本剣道連盟から剣道十段を授与される。 1959年(昭和34年)、剣道家として初の紫綬褒章を受章。 2003年(平成15年)、全日本剣道連盟剣道殿堂に顕彰される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川金之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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