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小川 銀次(おがわ ぎんじ、1956年9月24日 - 2015年8月2日)は日本のギタリストである。 == 来歴 == 17歳よりギターを始め、数々のセッションを経て、18歳で「ねずみ小僧」(後に「Bem」と改名)を結成。1976年7月『絵の見える音楽』をコンセプトにCROSSWINDを結成。コンテストでの優勝やメディアにも登場し、1978年にファースト・アルバム『CROSSWIND』でデビューを果たす。翌1979年にセカンド『CROSSWIND 2』をリリース、この間に自らのバンド以外でのバンド活動にも参加。「川上シゲ& Zone」、「カルメン・マキ Band」、「鳴瀬 & Quyz」などに精力的に参入、そして仲井戸麗市(チャボ)と忌野清志郎と出会い、日本語ロックのパイオニアである存在のRCサクセションに参加する。CROSSWIND、RCサクセションとの掛け持ちを続けていたがあまりの多忙さのためRCサクセションを2年で脱退し CROSSWINDに専念する。 そして1982年『そして夢の国へ』を制作。映画『俺たちの生きた時間』にも4曲を提供するなど精力的に活動をしていくが、4枚目の「WILDLAND」を未発表のまま、CROSSWINDは1984年に活動停止となる。以降、湯川トーベンのALPHABETS、旧友チャボとトーベンとの「イージーズ」で共演し、1985年にはギター教則カセット本を2冊出版。 そして1985〜86年頃、自分のバンドを3つに分け「小川銀次Band」・「the-Orchestra」・「小川銀次&Inner-WIND」として活動。時を同じくしてSolo-Albumのレコーディングに入る〈17曲中、数曲は後に「Private-Pieces」というアルバムに収録される〉。「グレイト-セッション-ヤル気」というバンドにも参加する。 1991年、『Private-Pieces 1986〜1987』を、そして同年『Inner-WIND』を発表、再び音楽界に戻ってくる。1992年、今や絶盤の『Inner-WIND 2』を発表、そして続けて『Private-Pieces 2』のレコーディングに入る(全曲を録音したが未発表となる)。1993年、Inner-WIND解散、1993年の後半〜1995年頃にかけてはギター一本でステージ活動を行う。 1999年5月、7年ぶりのステージとしてFragileへゲスト出演。1999年7月、五反田ゆうぽうとで行われた北野武のコンサートにギタリストとして出演。2000年12月、中野サンプラザで行われた北野武のコンサートに出演。 2000年、5年程前に自宅に作られたRecording Studioにて、これまでに約400曲をレコーディング。その中より選曲を行いCDにして12枚分を作品として完成、2001年5月23日、『MUSIC / Private Diary』というタイトルで12枚のフル・アルバムを同時リリースし。同時に、彼は彼自身のレコード会社 POWER RECORDを設立。 2015年8月2日死去〔ギタリスト小川銀次さん(58歳)が死去 『RCサクセション』『カルメン・マキBand』等で活躍 News Watch 2015年8月4日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川銀次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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