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小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 - )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。バンクーバーオリンピック女子団体パシュート銀メダリスト。信州大学教育学部卒業。相澤病院所属。 == 略歴 == * 新谷純夫(新谷志保美の父親)を師とし、茅野市立北部中学校(2年)で500mの中学記録を樹立。 * 2001年(中学2年時)には全日本ジュニア(スプリント部門)で当時高校生の吉井小百合を破り〔「文部両道のススメ」『Sports Graphic Number』2011年4月21日号、文藝春秋、2011年、雑誌26853・4・21、97-99頁。 〕、史上初の中学生王者に輝く。 * 伊那西高等学校ではインターハイで500mと1000mの2冠獲得〔、全日本ジュニアでも優勝を飾る。 * 高校卒業後に富士急行と三協精機から勧誘されたが、教員になる夢を捨てず、清水宏保を育てた結城匡啓監督がいる信州大学教育学部へ進学〔。1年時に第25回日本学生氷上競技選手権大会500mと1000mの2冠も達成。 * 2年時の2006年10月には全日本スピードスケート距離別選手権大会1000m優勝。 * 4年時の2008年10月24日、全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝。 * この間信州大学から履修へ特別な配慮は受けず、単位を取得した〔。 * 2009年、信州大学を卒業。卒論は有力選手のカーブワーク動作解析の研究〔。社会医療法人財団慈泉会 相澤病院にスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用される。実際には「長期出張」扱いとして競技に打ち込む傍ら、所属病院のスポーツ障害予防治療センターの医学面のサポートも受け2010年バンクーバーオリンピックを目指して選手としての活動を行う。 * 2009年の第16回全日本スピードスケート距離別選手権大会では500m、1000m、1500mの三種目で優勝した。中-長距離の3冠(1000m、1500m、3000m)は田畑真紀が第8回大会で達成しているが、短-中距離の3冠は小平が初めてであり、スピードとスタミナを併せ持つ選手との評価を得る。 * 2009年11月7日のISUワールドカップ・ベルリン大会で500m3位、1000m2位に入った。いずれも日本人選手最高位。 * 2010年2月、初の冬季五輪出場となったバンクーバーオリンピックで、500mは12位だったが、1000mと1500mでは5位入賞を果たした。女子団体パシュートでは、穂積雅子、田畑真紀とともに日本女子スピードスケート界史上初となる銀メダルを獲得した。小平は大卒初の女子メダリストとなった〔。 * ソチオリンピックでは、500mで5位入賞、1000mでは13位だった。 * ソチオリンピック後、相澤病院に籍を置いたまま、オランダに1年間の予定で練習の拠点を移した。ヘーレンフェーンに本拠を置くプロチーム「Team continu」で活動する。 * 2014年11月22日のISUワールドカップ・ソウル大会の500mでワールドカップ初優勝。参戦開始から9年目で達成した。 * 2015年2月に行われた世界距離別選手権の500mで3位入賞。この種目での日本人女子のメダル獲得は、2007年の大菅小百合以来8年ぶり。 * 2014/15シーズンのワールドカップ500mで総合優勝した。日本の女子選手がこの種目で総合優勝するのは島崎京子以来24年ぶり。 * あこがれの選手はカナダのシンディ・クラッセン。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小平奈緒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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