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小早川家の秋 : ウィキペディア日本語版
小早川家の秋[こはやがわけのあき]

小早川家の秋』(こはやがわけのあき)は、小津安二郎監督による1961年公開の日本映画である。

== 概要 ==
兵庫県宝塚市に存在した宝塚映画制作所(現・宝塚映像)の創立10周年記念作品として、巨匠・小津安二郎を招聘した作品である。
松竹を拠点にしてきた小津が、東宝(製作は宝塚映画)で監督した唯一の作品で、大阪や京都など純粋に関西を舞台にしている点でも貴重な一本である。なお、表題の姓「小早川」は「こばやかわ」ではなく「こはやがわ」と読む。脚本は、野田高梧と小津との共同執筆によるオリジナルであり、前作『秋日和』(1960年)完成直後より蓼科高原の野田の山荘で執筆された。
小津が東宝で映画を製作することとなったのは、表向きは『秋日和』で、当時、東宝専属だった原節子と司葉子が松竹に出演したことの見返りとなっているが、実際は小津の大ファンだった藤本真澄プロデューサーをはじめとする東宝首脳陣の小津招聘作戦が功を奏したものだったという。『早春』(1956年)に東宝専属の池部良が出演した際には、当時の森岩雄製作本部長が池部に「何としても小津さんの気に入られて、東宝に来てもらうように頼みなさい」という命令を下すほどの熱の入れようだった。〔池部良・著『心残りは…』(文春文庫)224ページ。森の発言は正確には「実は、小津先生には、再三再四、東宝で撮って戴きたいとお願いしてあるのですが、色よいお返事を戴いておりません。あなた(池部良)にお声がかかりましたが、東宝としては無理算段して松竹へあなたをお貸しするのですから、あなたは、先生に気に入られて、東宝へ来て下さるように、それとなくお話ししておいて下さい。あなたの使命は重大です」(同書より)。〕小津は既に松竹以外の他社では、新東宝で『宗方姉妹』(1950年)を、大映で『浮草』(1959年)を撮っていたが、五社協定が厳しかった時代に、小津のような松竹を代表する巨匠が東宝で映画を撮ることは稀有なことであった。
藤本には、東宝の専属俳優達を強烈な個性を持つ小津映画に出演させて、今までとは異なるイメージを引き出したいという狙いもあった。そのため、本作品は新珠三千代宝田明小林桂樹団令子森繁久彌白川由美藤木悠ら東宝スター総出演となっている。また、小津も熟練の職人芸で毛色の異なる俳優たちを的確に演出している点も、この作品の見どころの一つとなっている。内容的にも結婚を巡るドラマのスケールを広げて、京都・伏見の造り酒屋の大家族を巡るホームドラマ大作となったが、小津の視点はあくまでも主人公である小早川万兵衛(中村鴈治郎)の老いらくの恋とその死に向けられ、この頃小津が自らを「道化」と称していた心境とも重なるものとなった。万兵衛の葬儀を描いたラストの葬送シーンは11分45秒にわたるこの映画のクライマックスだが、小津は火葬場の煙突から上る煙や墓石を強調し、それらの場面を黛敏郎作曲による『葬送シンフォニー』で盛り上げ、なおかつ笠智衆望月優子の夫婦による宗教的な会話を挟むことによって、小津作品の中でも最も強烈に死生観を感じさせるものとなっている。なお、本作は原節子とのコンビ最終作ともなった。
この作品で初めて小津映画に出演した俳優のうち、小津の好みにかなったのは、小林桂樹、藤木悠、団令子などであった。特に小津が夢中になったのは新珠三千代であり、撮影の合間には「松竹で作る次回作に主演してくれ」と小津が新珠に懇願する場面もあった。反対に、小津にとって演出しづらかったのは、森繁久弥や山茶花究などアドリブ芝居を得意とする俳優だったという。特に森繁は、小津をへこましてやろうという闘争心剥き出しだったために、小津もその演出に苦労した。森繁が「小津に競輪なんか撮れっこない」と言ったエピソードなども知られている。小津は扱いづらい俳優と仕事をする際には、根気強く説得するのではなく、やや突き放して冷淡に接したといわれているが、当時性格俳優として人気のあった山茶花究などは、この小津の態度に戸惑い、失意さえ味わったという。
小津は松竹からスタッフを1人も連れて行かずにこの作品を撮った。東宝は小津を招くということで、当時の東宝を代表する一流のスタッフを揃えた。撮影の中井朝一は黒澤明作品の常連であり、照明の石井長四郎は成瀬巳喜男作品を支えてきたスタッフである。そのため、小津の他の松竹作品とは違った独特の緊張感が漂っている。ただし、編集に関しては、自分の生理にあったフィルムの繋ぎにこだわるあまり1コマを半分に切ることまでする小津の要求に応えることは困難を極め、最終的には松竹から小津の長年のパートナーである浜村義康が急遽呼ばれることとなった。また、赤い色にこだわる小津は、この作品でも松竹作品と同じくアグファ社のフィルムを使用している。赤い色へのこだわりは、撮影のほか、衣装や小道具にも及び、赤い小道具を撮影する際には、スタッフ全員でスタジオ内を掃除し、異物が写り込まないように細心の注意を払った。ラストシーンで、葬送の行列が川にかかった橋を渡る際に、カットによって川の流れの向きが逆になっている。このミスを指摘したのは試写を見た藤本真澄だったが、実際にはミスとはほとんど気づかないくらいの些細なものであるという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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