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韓 林児(かん りんじ)は、元末の群雄の一人。本貫は河北欒城。 == 生涯 == === 出生 === 白蓮教の指導者であった父・韓山童は北宋徽宗皇帝の八世孫を称し、信者劉福通らとともにモンゴルの支配に抵抗して挙兵を試みた(紅巾の乱)。しかし、挙兵直前に計画が露顕し、韓山童は処刑されてしまう。韓林児は母の楊氏とともに山間に逃れた。 劉福通らは潁州で挙兵。徐寿輝や郭子興らも挙兵し、白蓮教徒は一大勢力となる。至正15年(1355年)、劉福通は碭山に隠れ住んでいた韓林児を探し出し、白蓮教勢力の旗頭として擁立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓林児」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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