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小曽根真 : ウィキペディア日本語版
小曽根真[おぞね まこと]
小曽根 真(おぞね まこと、1961年3月25日 - )は、日本ジャズピアニスト
父はピアニスト兼ハモンドオルガン奏者の小曽根実、妻は女優の神野三鈴
== 人物・来歴 ==
1961年神戸市生まれ。須磨浦学園須磨浦小学校卒業。父の影響で5歳からクラシックピアノを習うも、バイエルの練習に飽き、ハモンドオルガンに転向し天才奏者と呼ばれる。12歳の時にオスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始める決意をする。1976年15歳でプロデビュー。神戸市立葺合高等学校卒業。
1980年に渡米し、ボストンバークリー音楽大学に入学。
1983年バークリー音楽大学のジャズ作・編曲科を首席で卒業後、同年6月にニューヨークカーネギー・ホールにてソロ・ピアノ・リサイタルを開く。このとき、ちょうど見物にきていたクインシー・ジョーンズに見出されて米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム『OZONE』にて全世界デビュー。
グラミー賞受賞アーティスト、ゲイリー・バートンヴィブラフォン奏者)とワールドツアーを行う。この後、CBSから3枚のアルバムをリリース。
1990年に帰国し、ビクターへ移籍、同社からは3枚のアルバムをリリース。
1994年ユニバーサルミュージック/ヴァーヴ・レコードへ移籍。
1996年、「MAKOTO OZONE TRIO」を結成。1999年ニューヨークへ再移住。
2000年、「MAKOTO OZONE TRIO」の新ベーシストにJames Genusを迎える。同年、初のベスト・アルバム『wizard of OZONE〜小曽根真ベスト・セレクション』をリリースしベストセラーとなる。
2001年スイングジャーナル誌読者人気投票で2年連続4冠制覇。
2002年デビュー20周年、ヴァーヴ移籍後10作目となるスペシャル・アルバム『トレジャー』を発表。チック・コリアマイケル・ブレッカー、ゲイリー・バートン、ジョン・ヘンドリックス等豪華ゲストを迎えた。また、『THEドラえもん展』に「あなたのドラえもんを聴かせてください 」との依頼を受け、小曽根真トリオ 名義で、ベースにJames Genus、ドラムにClarence Pennを迎え、録音を行い、マキシシングル盤の『ドラえもんのうた cw 青い空はポケットさ』を会場限定で販売した。
2003年ゲイリー・バートンとのデュオ・アルバム『ヴァーチュオーシ』が第45回グラミー賞『ベスト・クラシカル・クロスオーバー・アルバム』部門ノミネート。7月スタンダード・ジャズに積極的に取り組んだ意欲作『Reborn/リボーン』をリリース。9月、母校バークリー音楽大学より『名誉博士号』を授与される。10月『第18回国民文化祭・やまがた2003』開会式にて、総合プロデューサーの作家・井上ひさしからの依頼により、書き下ろしのピアノ・コンチェルトを山形交響楽団と共演、指揮も務める。
2004年3月伊藤君子のレコーディングのために、エリック宮城らと共にビッグバンド「No Name Horses」を結成〔小曽根真.:No Name Horses:. 〕。7月三楽章からなる『セプテット組曲』を始めとしたThe Trioにストリング・カルテットをフィーチャーしたニューアルバム『New Spirits/新世界』をリリース。
2005年7月ザ・トリオとしては10枚目のアルバム、またFender Rhodesを積極的に取り入れた『REAL』をリリース。2005年9月塩谷哲とのピアノデュオアルバム『MAKOTO OZONE&SATORU SHIONOYA』をユニバーサル、ビクターから二枚同時にリリース後、全国のクラシック専用ホールにてピアノデュオコンサートツアーを行う。
2006年1月18日、No Name Horsesとしては初のアルバム『No Name Horses』をリリース。
2007年ジョン・レノンAIなどのカバーも収録したピアノ・ソロ・アルバム『Falling in love, again』発表。
2008年9月12日、音楽監督大植英次プロデュースによる大阪フィルハーモニー交響楽団の団員による公演を中心とするクラシック・コンサートのイベント「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」に緊急追加公演の形で参加、大阪市中央公会堂にて大植英次とピアノデュオコンサートを行う。
2010年11月11日、第11ノーベル平和賞受賞者世界サミット関連事業「1111、ピースフルチャリティーセッション 」が広島市文化交流会館で開催され、アートディレクター稲吉紘実の創作による「絵のない絵本 この星が絵でうめつくされたら」[フレーベル館]他の朗読とピアノによるセッションを行う。
「No Name Horses」 を率いてフランス(ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭)とオーストリアで公演を行う。 ショパンの生誕200年 を記念したアルバム『ロード・トゥ・ショパン』を発表し、歌手のアナ・マリア・ヨペックをゲストに迎え同名の全国ツアー(全10公演)を 行う。ポーランド政府よりフレデリック・ショパン・パスポート授与される。
2011年
井上ひさしの音楽劇『日本人のへそ』で作曲を担当し、ピアニスト役で出演。 青年座交流プロジェクト『欲望という名の列車』で作曲と演奏を担当。 4月に国立音楽大学(演 奏学 科ジャズ専修)教授に就任。 フランスのオーヴェルニュ室内管弦楽団(指揮:アリ・ヴァン・ベーク)の定期公演に招かれ自作のピア ノ協 奏曲 を世界初演。 夏に東日本の復興を支援する『Live & Let Live - Love for Japan』を急遽リリース。この支援活動に対し翌年冬に「JAZZ JAPAN」 誌より《NISSAN PRESENTS JAZZ JAPAN AWARD 2011》 の特別賞を授与される。 「No Name Horses」 初のライブ盤『Back at the Club “in Trubute”』 を発表。 NHK-BS「世界遺産 時を刻む」の作曲・演奏を担当し、12月 に同番組のオリジナル・サウンド・トラック『THE SWELL OF TIME』をリリース。
2012年
「No Name Horses」 を率いてシンガポールのモザイク・ミュージック・フェスティバルに参加。 パリ(シャンゼリゼ劇場)とスペインにてトマス・ツェートマイアー指揮パリ室内管弦楽団と共演(モー ツァルト:ピアノ協奏曲「ジュノム」)。同楽団とは同年のラ・フォル・ジュルネ音楽祭(東京・ナント)でもショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番で共演。 大植英次指揮ハノーファー北ドイツ放送交響楽団とハノーファーにて共演(バーンスタイン:不安の時代)。

7月23日、音楽と演奏を担当した、稲吉紘実著『 絵のない絵本 この星が絵でうめつくされたら 朗読と音楽CD付』が出版される。
J-WAVEFM802を始め全国5局ネットのラジオ番組『ASAHI BEER OZ MEETS JAZZ』にてパーソナリティーを務めた(その後はJ-WAVEのみで後番組『THE PLAYERS』を担当)。
ジャズピアニストとしてデビューしたものの、現在でもハモンドオルガンを演奏することがあり、父親との共演も多い。
近年はジャズの世界を越え、クラシック界で井上道義指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団ガーシュウィンピアノ協奏曲ヘ長調、バーンスタイン交響曲第2番『不安の時代』を、尾高忠明指揮、札幌交響楽団モーツァルトピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271『ジュノーム』を、大植英次指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団ガーシュウィンラプソディ・イン・ブルー」を演奏する等、活動域を拡げている。また、今井美樹のセルフカバー・アルバムでのピアノ伴奏(『年下の水夫』)や、毎日放送情熱大陸』、NHK課外授業ようこそ先輩』等のテレビ番組への出演、『THEドラえもん展』の音楽や舞台音楽など、ジャンルを超えた取り組みも注目される。
2013年
3月、音楽と演奏を担当した、稲吉紘実著『絵のない絵本 おおごまだらになりたい 朗読と音楽CD付』が出版される。
2014年
アラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルハーモニックのアジアツアーにてソリストに抜擢(ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小曽根真」の詳細全文を読む



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