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小杉 義男(こすぎ よしお、1903年(明治36年)9月15日 - 1968年(昭和43年)3月12日〔日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』(2004年)では1963年(昭和38年)3月12日と誤記されている。〕)は栃木県出身の日本の俳優。叔父に日本画家の小杉放庵、長女は、元女優の小杉公子〔読売新聞 1967年8月5日。〕。 == 略歴・人物 == 栃木県上都賀郡日光町(現:日光市)生まれ。日本館にいた石井漠に舞踊、松島詩子にコールユーブンゲンを習い、浅草オペラの歌手として活躍する。その後は、伊庭孝の新星歌舞劇団を経て新劇協会に入り、帝国ホテル演芸場での『桜の園』のヤーシャで認められる。 1925年、築地小劇場に入り、『どん底』の靴屋のアリョーシカで認められ、これを持ち役とし、以降はこわもての風貌を武器に脇役として個性的な演技で活躍。映画初出演は、1927年に築地小劇場の座員と共に出演した『黎明』。 1934年に新協劇団の結成に参加。翌1935年には舞台活動と平行して、東宝の前身である映画会社P・C・Lと契約。時代劇、舞台劇を問わず多くの東宝映画に出演する。黒澤明の映画にも度々起用され、『姿三四郎』、『虎の尾を踏む男達』、『七人の侍』などに出演。世界的スターであり、小杉の後輩である三船敏郎とも三船のデビュー作から共演する事が多かった。 特撮作品にも数多く出演しており、特に本多猪四郎が監督を務める作品には数多く出演した。 また東宝の俳優養成所では発声の授業を受け持ち、養成所内ではひときわ厳しい先生の一人だった。教え子の一人である佐原健二は、のちに特撮ドラマ『ウルトラQ』第25話の「悪魔ッ子」で小杉と共演した際、劇中の魔術師のメイクをした恩師の顔があまりに怖くて言葉に詰まってしまい、とっさに挨拶できなかったという〔「素晴らしき特撮人生」(佐原健二、小学館)〕。 演技指導は厳しかったが、土屋嘉男によると「そんなこんじゃあ、おらあ知らんどう」といった調子で、教える立場なのに訛っていたという。また、ロケ現場にマムシがいたと聞くと、眼の色を変えて探しまわり、捕まえて食べていた。強面で知られたが、普段はおしゃべり好きの好々爺だったという〔「黒澤さ~ん!」(土屋嘉男、新潮社)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小杉義男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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