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ケンドーコバヤシ(1972年7月4日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。本名および旧芸名は小林 友治(こばやし ともはる)。愛称はケンコバ、コバ、Mr.やりたい放題。 大阪府大阪市東住吉区育ち。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校11期生。 身長172cm、体重77kg、血液型O型。大阪市立東田辺小学校、大阪市立中野中学校、初芝富田林高等学校卒業。高校時代はラグビー部で主将を務めていた。 == 略歴 == === 関西時代 === 1992年4月大阪NSC入学。11期生であり、同期は陣内智則、中川家、たむらけんじ、ハリガネロック、烏川耕一、たいぞう、ハリウッドザコシショウなど。NSC出身者以外では藤井隆、ココリコ、海原やすよ・ともこなどが同期。 NSC在学中「沖・小林」を経て、元ハリガネロックのユウキロックと「松口VS小林」を結成、ボケ担当。ツッコミにドロップキック等のプロレス技を用いたり、ネタをしながら互いにプロレス技を掛け合うといったアンタッチャブルな芸風で人気を得る。また、NSC在学中に『オールザッツ漫才』に出演するなど、将来を嘱望された時期もあったが、コンビ名通り対立関係に発展してしまい方向性の違いから1995年解散。元々松口は、小林の方向性に疑問を持っていたが、ある日小林から「下着泥棒2人がケンカをする」という設定のコントのネタを見せられた松口が、もうだめだと解散を切り出した。その際松口は、「お前と組んでると売れる気がしない」と言ったという〔2012年7月14日『ざっくりハイボール』〕。 その後同期の村越周司と「モストデンジャラスコンビ」結成。一応ツッコミ担当だったが、全くボケ・ツッコミの区別がつかない無秩序なネタを生み出し続けた。当時の心斎橋筋2丁目劇場ブームに乗り、また小林の実力を評価した千原兄弟や、バッファロー吾郎、FUJIWARAなど先輩芸人の後押しもあり活躍。モストデンジャラスコンビは村越が芸人引退を希望し(村越はフリーのピン芸人として2006年復帰)、2000年3月解散。解散のキッカケは、村越が人付き合いが苦手だったことも一因になっており、解散の際村越は小林に対して、「元々お前のことそんなに好きじゃなかった。と言うか、この世界の芸人で好きな奴なんて1人もおらん」と言い、周りにいる芸人が嫌いな理由を延々と語り始めたという〔2012年7月14日『ざっくりハイボール』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケンドーコバヤシ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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