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小林多喜二[こばやし たきじ]
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日〔戸籍上の日付。なお、従来いわれてきた『10月13日』は、1903年12月1日の旧暦での日付にあたる。〕 - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 == 生涯 == 秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)に、小作農家の〔小林家は元々は地元の大地主だったが伯父の事業失敗により田畑を失って転落した。〕次男として生まれる。当時北海道・小樽で苦難の末に事業に成功した伯父が自分の失敗によって傾いた実家の始末を負わせていた弟夫婦(多喜二の両親)への恩返しとして「小樽の学校に通わせたい」と言う提案により長男を移住させていたが間もなく病死。4歳の時に伯父の計らいによって一家全員で小樽・若竹町の伯父の別宅に移住する。生活は豊かではなかったが、伯父の工場に住み込みで働く代わりに学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)へ進学。在学中から創作に親しみ、絵画〔商業学校在学当時の多喜二は時間を忘れるほど絵画に没頭していたが病死した兄の件と健康面を配慮した伯父の言いつけにより断筆した。〕や文芸誌への投稿〔1921年小説倶楽部10月号に『老いた体操教師』、国民新聞10月30日付に『スキー』が掲載される。どちらも主人公は小林多喜二の小学校時代の実在の体育教師がモデルになっており、小林多喜二のデビュー作とされる。小樽市立小樽文学館が2010年4月21日に発表した内容に依る。〕や、校友会誌の編集委員となって自らも作品を発表するなど、文学活動に積極的に取り組んだ。小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。 卒業後、北海道拓殖銀行(拓銀)小樽支店に勤務し、そのころ5歳年下の恋人田口タキ〔2009年6月19日死去。101歳とも、102歳であったとも報じられている。下記脚注を参照。〕に出会う。タキは父親が残した多額の借金により13才の頃より酌婦として飲み屋に売られていた。多喜二は友人からの借金でタキを身請けし、結婚ではなく家族という形で実家に引き取った。多喜二の家族も暖かく迎えたが、タキは身分の差に悩み7ヵ月後に家出をする〔歴史秘話ヒストリア「「たった一人のあなたへ~“蟹工船”小林多喜二のメッセージ~」、NHK、2010年2月24日放送〕。1928年の総選挙のときに、北海道1区から立候補した山本懸蔵の選挙運動を手伝い、羊蹄山麓の村に応援演説に行く。この経験がのちの作品『東倶知安行』に生かされている。同年に起きた三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を『戦旗』に発表。作品中の特別高等警察(特高警察)による拷問の描写が、特高警察の憤激を買い、後に拷問死させられる引き金となった。 翌1929年に『蟹工船』を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集め同年7月には土方与志らの新築地劇団(築地小劇場より分裂)によって『北緯五十度以北』という題で帝国劇場にて上演された。だが同時に警察(特に当時の特別高等警察)からも要注意人物としてマークされ始める。『蟹工船』『一九二八年三月一五日』および同年『中央公論』に発表した『不在地主』などがもとで拓銀を解雇(諭旨免職)〔拓銀の実名を小説中で使ったことが、銀行の名誉を毀損したとみなされた。2005年夏に小樽市立小樽文学館に寄贈された拓銀の内部資料「行員の賞罰に関する書類」には、1929年11月16日付の発令で「依願解職」(諭旨)と記されている。同文書では小林多喜二の解職理由は「左傾思想を抱き『蟹工船』『一九二八年三月十五日』『不在地主』等の文藝書刊行書中當行名明示等言語道斷の所為ありしによる」とされ「書籍發行銀行攻撃」と欄外に書かれていた。(asahi.com 文化 2005年10月30日15時50分による)〕され、翌年春に東京へ転居。日本プロレタリア作家同盟書記長となる。1930年5月中旬、『戦旗』誌を発売禁止から防衛するため江口渙、貴司山治、片岡鉄兵らと京都、大阪、山田、松阪を巡回講演。23日に大阪で日本共産党へ資金援助の嫌疑で逮捕され、6月7日、一旦釈放された。 24日に帰京後、作家の立野信之方で再び逮捕され、7月、『蟹工船』の件で不敬罪の追起訴を受ける。8月、治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。1931年1月22日、保釈出獄。その後神奈川県・七沢温泉に篭る。1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。1932年春の危険思想取締りを機に、地下活動に入る。8月下旬、自らの地下生活の体験を元に『党生活者』を執筆した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林多喜二」の詳細全文を読む
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