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小林太市郎 : ウィキペディア日本語版
小林太市郎[こばやし たいちろう]
小林 太市郎(こばやし たいちろう、1901年12月27日 - 1963年5月7日)は、美術史家・芸術学者。
== 人物 ==
京都西陣生まれで生家も西陣織の織り元である。京都帝国大学哲学科卒。
ソルボンヌ大学に三年間留学し、帰国後、東方文化学院研究嘱託、大阪市立美術館学芸員を経て、1950年、神戸大学教授となり芸術学の講座を担当した。1947年、『大和絵史論』で毎日出版文化賞受賞(また、同論文によって東大より博士号を授与されている)。没後、淡交社から『小林太市郎著作集』が刊行された。膨大な蔵書が神戸大学に寄贈され、神戸大学人文科学図書館に「小林文庫」として保管されている。
西田幾多郎門下の哲学畑の出身で、初期にはアンリ・ベルクソンなどを研究していたが、やがて美術史・美学を中心課題とするようになった。研究対象は大和絵その他の絵画や陶磁・仏像・ジャポニスムなど、和漢洋の様々な時代の美術とそれらの間の影響関係、更にマラルメ蕪村王維などの文学にも及び、多くの先駆的業績を残した。また、『芸術の理解のために』などで独自の芸術論を展開している。以上のように研究領域が極めて多方面にわたる一代の碩学であり、「東洋のブルクハルト」とも称された(著作集第1巻解説)。
博覧強記と広い視野に支えられつつ大胆な推論を展開するため、通常の実証的な学者にはない魅力を持つが、批判されることも多い。この性格は梅原猛の著述にも影響を与え、梅原は小林を「明治以後の日本で最もすぐれた美学者」としている(著作集第3巻解説)。一方、小林と共に琳派の研究に従事した経験のある山根有三は、小林を恩人として敬愛しながら、その学説に多くの修正を加えている(著作集第6巻解説)。
芸術作品をその根底に潜む性的欲望を中心に分析する傾向が目立つので、フロイト的と評されることもあり(本人はフロイトを嫌っていたが)、その典型例が『光琳乾山』(著作集第6巻)における「紅白梅図屏風」の解釈である(画面中央の川を女体とし、両側の梅樹を男性とする)。また、芸術による救済を説く点でショーペンハウエルとの類似性も指摘されている(著作集第8巻解説)。
神戸大学における講義でも博学ぶりが評判であり、学生だけでなく教員たちも聴講に来るほどであった。だが、教授会に一度も出ずに研究に専念し孤高の姿勢を貫いたことなどで、業績に見合うほどの学界的地位は得られなかったといわれる(著作集第3巻解説)。
 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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