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小林 弘記(こばやし ひろき、1977年5月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 現在は、Jリーグ・ロアッソ熊本でアカデミースタッフ兼アンバサダーを勤める。妻は元タレントの木下優。 ==来歴== 1993年、清水商業高校に進学。先輩のGK川口能活に叱咤されながらも力を伸ばし、1995年には同期の大石玲、谷池洋平、西川周吾、早川知伸、藤元大輔、松原忠明らと共に高円宮杯3連覇に貢献した〔1995年結果詳細&メンバー表 日刊スポーツ〕。 恵まれた体格と跳躍力から複数クラブのオファーを受けたが、コーチ陣の充実を理由に1996年よりジュビロ磐田に加入。磐田では大神友明が正GKとして定着しており、大神が負傷離脱した1999年以後も出場機会を得られなかったことから、2000年シーズン途中にヴェルディ川崎への期限付き移籍を経て〔 ジュビロ磐田 (2000年4月18日)〕、コンサドーレ札幌へと完全移籍〔 ジュビロ磐田 (2000年6月22日)〕。同年11月5日のJ2第41節サガン鳥栖対札幌においてJリーグ初出場を果たすも、正GK佐藤洋平の壁は厚く、2001年限りで退団。 2002年2月末にFC東京へ移籍〔 FC東京 (2002年2月27日)〕。同年の選手編成は1月に発表されていたが〔 FC東京 (2002年1月17日)〕、2月になって小澤英明が負傷し〔 FC東京 (2002年2月12日)〕、小林の獲得はその穴埋めを図るためのものだった。土肥洋一のバックアッパーとしてベンチ入りを続けていたが〔選手出場記録 Jリーグ (2002年8月17日)〕、シーズン終盤に小澤が復調したことでベンチからも外れ〔選手出場記録 Jリーグ (2002年11月30日)〕、1年限りで退団した。 2003年、湘南ベルマーレへ移籍〔 FC東京 (2002年12月24日)〕。若手選手を支えるリーダーシップを発揮し〔 湘南ベルマーレ (2003年6月14日)〕、気迫のこもった好セーブで正GKの座を掴んだ〔J2第4クール突入特別企画 湘南ベルマーレ (archive ) J's GOAL (2005年)〕。 2007年よりロッソ熊本(2008年よりロアッソ熊本)へ移籍。同年のJFLでは全試合フル出場で奮闘し、2008年からのチームのJリーグ参入(J2昇格)に貢献した〔熊本の守護神復活 日刊スポーツ (2008年4月3日)〕。2009年限りで現役を引退〔小林弘記選手 現役引退のお知らせ ロアッソ熊本 (2009年11月25日)〕。 2010年よりロアッソ熊本のアカデミースタッフ兼アンバサダーに就任し〔小林 弘記、アカデミースタッフ 兼 アンバサダー就任のお知らせ ロアッソ熊本 (2010年1月29日)〕地域に根ざした様々な活動を行なっている。2013年現在の所属部署は営業部。一方、DJ Kova(コヴァ)としてスタジアムDJも務めている〔【百年旅行 Jリーグのある風景 6月4日(土)10:30放送】#69 (archive ) J's GOAL (2011年6月1日)〕。また、チームマスコットであるロアッソくんとは、BAZOOKA BROTHERS(バズーカブラザーズ)という名でタッグを結成中である。 2011年5月22日、八代市鏡町「ふる郷(さと) 愛鏡祭」にて開催された畳投げ大会にて、一般男性にエントリー。12メートル43を記録し大会新記録〔「え~いっ」畳投げ大会新 朝日新聞 2011年6月2日閲覧〕 で優勝した〔畳投げが競技化した熊本…男子1位は12m超 読売新聞 2011年6月2日閲覧 小林の写真付きで紹介〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林弘記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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