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小林弥六 : ウィキペディア日本語版
小林弥六[こばやし やろく]

小林 弥六(こばやし やろく、1878年11月1日 - 1943年3月22日)は、日本映画監督
石川県金沢市生まれ〔〔。専門学校卒業〔。1907年(明治40年)、横田商会に撮影技師として入社し、巡業隊に属して映写技師活動弁士を務める〔〔洛西地域映画史聴き取り調査報告Ⅱ,小林昌典氏談話 立命館大学、2015年3月3日閲覧〕。1909年(明治42年)頃からは同社で牧野省三監督・尾上松之助主演作品の助監督に就く〔。1912年(大正元年)の日活創立で同社の撮影部に入り、やがて監督に昇進した〔。1920年(大正9年)、日活時代劇部が二部制となり、第一部で松之助映画の監督を務めた。翌年には牧野が日活を去ったため、以降は松之助映画を専門に撮り続けた〔〔。1926年(大正15年)に松之助が死去してからは監督を辞め、池永浩久撮影所長の秘書、製作総務部長、衣裳係主任などを務め、定年退職後も嘱託として晩年まで撮影所に勤務した〔〔。
主な監督作品に『お祭佐七』(1917年)、『槍の権三郎』(1918年)、『弥次喜多 前篇 善光寺詣りの巻』(1921年、辻吉朗監督と共同、現存〔弥次喜多 善光寺詣りの巻 東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月3日閲覧〕)、『乞食と大名』(1925年)など。
==脚注==
;注釈
;出典


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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