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小林範仁 : ウィキペディア日本語版
小林範仁[こばやし のりひと]

小林 範仁(こばやし のりひと、1982年5月4日 - )は、秋田県北秋田市出身のノルディック複合選手。冬季オリンピック3大会ノルディック複合日本代表。2009年ノルディックスキー世界選手権金メダリスト。
秋田県立花輪高等学校日本大学経済学部経済学科卒業。東京美装興業所属。
== 経歴 ==
秋田県阿仁町 (現在の北秋田市) に生まれ、父親の影響を受けてノルディック競技を始めた。ジュニア時代から頭角を現し、1999-2000シーズン後半よりノルディック複合・ワールドカップに参戦。
2000-01シーズンは12月30日のリレハンメル大会で12位。2月のノルディックスキージュニア世界選手権では日本勢で初めて金メダルを獲得し、同月に開催されたノルディックスキー世界選手権にも初出場した。2002年2月にはソルトレイクシティオリンピックに出場。2003年ユニバーシアードではノルディック複合個人、スプリント、団体の3種目で優勝した。
2005-06シーズン頃より元々得意としていたクロスカントリーに加えて、ジャンプの実力が上昇し、W杯での上位進出回数が増加。1月21日のハラホフ大会で自己最高の4位、翌日も9位に入ると、その後も2度目の出場となったトリノオリンピックを含めて安定して20位以内の成績を残した。
翌2006-07シーズンに少し成績を落としたが、2007-08シーズンは1月26日のゼーフェルト大会4位など、出場17戦中15戦で20位以内に入る安定した成績を残し、個人総合で自己最高の13位になった。
2008-09シーズンも2度6位に入るなど前半戦より度々上位に進出。2月にリベレツで開催された世界選手権では個人戦ノーマルヒルで5位入賞、そして湊祐介加藤大平渡部暁斗とともに出場した団体戦では、前半ジャンプ5位で迎えた後半距離でアンカーを務め、3位につけていた残り700mでクロスカントリーに強いドイツティノ・エデルマンノルウェーマグヌス・モーアン両選手を追い抜き、ラストのスプリント勝負も制し、日本にとって1995年世界選手権以来14年ぶりとなる団体戦の金メダルを獲得〔世界ノルディック:日本が金メダル 〕、小林は距離に強い「新しい複合ニッポン」の象徴的存在となった〔ノルディック複合復権へ 笑顔の新エース 小林範仁 NumberWeb2009年12月12日〕。
2009-10シーズン、1月16日のショーヌーヴ大会の5位から3戦連続で一桁順位を記録。2月に3度目の五輪出場となるバンクーバーオリンピックを迎えた。個人(ノーマルヒル)では前半ジャンプの12位から、後半距離では終盤で一時トップに立つ健闘を見せ7位入賞。〔複合個人、小林が7位入賞/バンクーバー五輪第3日 〕〔見せ場たっぷり!イケメン小林範仁 複合7位入賞! 〕。
2010-11シーズンもワールドカップ、世界選手権に出場した後、現役を引退した。
現在、地元秋田のテレビ局秋田テレビのイベントディレクターに着任

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林範仁」の詳細全文を読む



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