翻訳と辞書
Words near each other
・ 小林章子
・ 小林章良
・ 小林節
・ 小林節子
・ 小林節子 (フリーアナウンサー)
・ 小林節正
・ 小林節雄
・ 小林範仁
・ 小林範雄
・ 小林簡易裁判所
小林米作
・ 小林米珂
・ 小林精次
・ 小林紀子
・ 小林紀晴
・ 小林純一
・ 小林純生
・ 小林紗貴
・ 小林紘二郎
・ 小林経旺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小林米作 : ウィキペディア日本語版
小林米作[こばやし よねさく]
小林 米作(こばやし よねさく、1905年7月15日 - 2005年11月6日)は、記録映画カメラマン映画プロデューサー
十字屋映画部から日本映画社、戦後は東京シネマで科学映画の撮影を担当。顕微鏡を使用した撮影を得意とし、自ら、プロダクションを立ち上げ、多くの科学映画を製作した。その間、国際賞・国内賞含め、数々の賞を受賞した。長男の小林武史と、次男の小林健次はヴァイオリニスト。
==経歴==

===十字屋映画部から日本映画社===

*1905年新潟県小須戸町生まれ。北海道旭川市に移り、旧制旭川中学卒業後、叔父の経営する写真館で働く〔小林米作(こばやしよねさく)世界を驚かせた生命科学の映像 〕。
*渡欧をめざすが、断念し、インドネシアスマトラ島メダンコダック社の支社に入り、DPEの技術を身につけて1935年帰国する〔。
*1938年十字屋映画部に入社。先輩に太田仁吉と鈴木喜代治がいた〔ショートフィルム再考−映画館の外の映像メディア史から Ⅵ—ⅰ(承前) 吉原順平 科学映像の開拓者たち——教育・啓蒙から戦争動員へ(戦前)3「教育映画』「文化映画』の敗色——「術科映画』「緊急指導映画』へ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林米作」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.