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小林脳行 : ウィキペディア日本語版
小林脳行[こばやしのうこう]

株式会社 小林脳行(こばやしのうこう)は、かつて東京都中央区日本橋本町を本社に実在した生活化学用品(台所/洗面所/トイレ用品)メーカーである。現在は経営破綻し会社は存在しないが、営業権は小林製薬が承継している。
== 概要・来歴 ==
主として家庭用の防虫剤モスノーモスビーズモスボックス等)、洗剤バスタニックキッチンタニックサニボン・Fビニボン等)を中心に扱っていた。また戦前には「バガテル」というパチンコの原点ともいわれる盤ゲームを日本に紹介。その際「小林」の「林」を「りん」と読み替えて、「コリンゲーム」として発売し、それが後に「コリントゲーム」という名称で知られるようにまでなった。
戦前には、園芸用の殺虫剤(バーミタックス)を日本の生活化学用品メーカーとして初めて発売し、戦前~1984年にかけては樟脳を主成分とした衛生用液体消臭芳香剤を発売していた(煙だし片脳油煙だしネオ片脳油)。
一方では、TBS関東地方の天気予報のスポンサー(正午前のニュース時)やMBSラジオ東海ラジオRKBラジオ時報前のCMなどで有名だった。また、関西テレビフジテレビ系でかつて放送されていた西郷輝彦主演の連続ドラマ『どてらい男』の最末期のスポンサーでもあった。このほかにもテレビ朝日系の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』や『必殺シリーズ』(ABC制作)等、提供していた番組は多数存在した。
経営不振から自主再建を断念、1984年倒産。翌年1985年大阪市にある大手医薬品メーカーの小林製薬に営業権を譲渡し、小林脳行の全商品は小林製薬から発売されるようになった。なお、「小林」の名称が共通のため両者間で資本・人材関係があったかのように誤解されやすいが、実際には両者との関係は全くなかった(かつて小林製薬の東京支社があった建物は、小林脳行の本社社屋を一度解体、耐震性を強化し再構築した建物であるが、その後業績拡大などに伴い小林製薬の東京オフィスを中央区八丁堀に移転するため建物だけを残して東京の営業拠点を八丁堀へ移転した)。小林脳行から引き継いだ商品そのものは、生産が打ち切られているが、現在は「サニボン・F」の後継商品である「サニボン泡パワー」が唯一残る。
当時の商品でビニボンというビニール素材の部分を拭取るための洗剤が存在したが、1980年前後に巷で「ビニール本」と呼ばれるわいせつ書籍が登場し、それが略して「ビニ本(ビニボン)」の名称で通るようになってからは、まるでそのとばっちりを食うかの様に商品自体が無くなった。
同社の製品であったバスタニックのCMには、当時読売ジャイアンツの選手だった西本聖高田繁らが出演。最後に「キッチンタニックもよろしく」と言う。その他河内桃子らも出演したことがあり、CMナレーションには押阪忍を起用していた。
またテレビ番組におけるスポンサードの際の読み上げは「衛生薬品の総合メーカー、小林脳行」だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林脳行」の詳細全文を読む



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