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小柳ルミ子 : ウィキペディア日本語版
小柳ルミ子[こやなぎ るみこ]

小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子1952年7月2日 - )は、日本歌手女優である。別名:rumico福岡市早良区(当時は西区)生まれ。母親は秋田県出身〔『あの日あの時母の顔―私の母語り』 小学館 1996年 156頁〕。血液型はA型。愛称:ルミちゃん。
== 来歴 ==
;宝塚時代
筑紫女学園中学校卒業後、宝塚音楽学校に入学。以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。渡辺プロは、「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と回答。言葉通り見事、1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、80-81頁。ISBN 9784484146010〕で卒業。同期には元専科の萬あきら、女優の麻実れい東千晃らがいる。歌手デビューが約束されていたが、初舞台だけは踏みなさいと言われ、そのまま「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団し、2ヶ月で退団した。歌手デビューを当初から念頭においており、小柳にとって宝塚は歌や演技の鍛錬を積むためのいわゆる腰掛けであった。
;芸能界デビュー
退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説』で女優としてデビュー。
1971年(昭和46年)4月25日にはワーナー・ブラザーズ・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽部門初の歌手として契約。作曲家平尾昌晃プロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚〔新井恵美子『女たちの歌』 光文社、2004年、ISBN 4334783147。〕の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。
その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理南沙織らとともに『三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
その後はアイドルというジャンルを卒業。1970年代後半~1980年代前半に入ってからは、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばした。その軌跡として、デビューの1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残している。さらに女優としても活躍し、1983年日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど高く評価を受ける(詳しくは後述 「女優として」)。8時だョ!全員集合の最多出演ゲストである。
;転機
順風満帆かに見えたが、元々、ポップスやミュージカルを志向していた小柳と渡辺プロとは意見の相違があった。待遇面の不満も含め、渡辺プロダクションからの独立を巡り当時のナベプロに妨害された事から仕事を干される等辛酸を舐める。1971年には、公衆の面前で渡辺プロダクションの和久井保(のちワクイ音楽事務所社長)から「現場のマネージャーの言うことを聞かない」と殴打され、和久井が退社に追い込まれたこともある〔軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』p.248〕。
1989年(平成元年)に、13歳年下の無名のダンサーであった大澄賢也と電撃結婚するが、2000年(平成12年)に離婚となる(詳しくは後述 「結婚について」) 。
2002年(平成14年)、歌手名をrumicoに、女優名を小柳ルミ子とした〔後に音楽番組に出演する際も「小柳ルミ子」名義に戻している。〕。同年リリースされた島津亜矢のシングル「夜桜挽花」とアルバム『彩 -AYA-』のトータルプロデュースを手がける。
2007年(平成19年)7月22日、27歳年下の俳優・石橋正高との婚約を発表するが、入籍直前に婚約解消(詳しくは後述 「結婚について」) 。
2010年(平成22年)7月2日には芸能生活40周年記念パーティーとバースデーパーティを兼ねて盛大に開催された。各界に人脈があり交友関係が大変幅広い小柳のもとに友人、親友などの芸能人や関係者が700人集まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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