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株式会社小柳出電気商会(おやいででんきしょうかい)は東京都文京区に本社を構える産業用電線・オーディオ用電線及び周辺アクセサリの卸売、販売業者。 近年は「FiiO」「Zephone」「Song's Audio」などのポータブルオーディオアクセサリーや、スウェーデンのオーディオブランド「Entreq」製品の日本正規代理店としても展開。 オリジナルブランドとしてはオーディオアクセサリブランド「OYAIDE」、プロフェッショナル向けオーディオアクセサリブランド「NEO」など、ケーブルを軸とした商品展開をしている。 == 概要 == 1952年に創業。当初はモータトランス用マグネットワイヤーや絶縁材料を中心に取り扱っていたが、後に電線・ケーブル類を中心に取り扱うようになる。秋葉原の総武線高架下で「オヤイデ電気」の屋号で小売店舗も営業している。 「オヤイデ(oyaide)」ブランドで電源ケーブルやオーディオ機器向けの製品の企画・製造・販売を行うほか、中国のオーディオメーカー「FiiO(フィーオ)」「COZOY(コゾイ)」「Zephone(ゼフォン)」、香港のケーブルブランド「Song's Audio(ソングス・オーディオ)」製品などの日本国内の正規代理店でもある。 秋葉原といえば、戦後焼け野原の状態からいち早く復興を遂げたことで知られている。当時、神田須田町周辺の闇市では、電機学校の学生やラジオ・無線などの需要から、真空管やラジオ部品などの電子部品を扱う店舗が増えて行き、電機製品の多様化する流れの中、徐々に秋葉原方面へと店舗が立ち並んでいった。そんな中、モーターやコイルの材料としてワイヤー・ケーブル類の需要に応えるべく、1952年10月先代社長、小柳出一二により「オヤイデ電気(小柳出電気商会)」が創業。 創業当初は前述の通り、主にモーター・トランス用のマグネットワイヤー、絶縁材料等を販売。その後、秋葉原は高度成長期と連動する形で、秋葉原ラジオ会館を始めとした、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が軒を連ね始める。オヤイデ電気もこの頃、時勢に応じて家電製品(当時、三種の神器といわれた炊飯器・冷蔵庫・洗濯機)の販売を開始、1971年には「株式会社小柳出電気商会」の設立に至る。 元来のケーブル類に強い業務形態も手伝い、次第に建築・産業系のケーブル・絶縁資材などの需要が高まるにつれ、1974年には電線を中心とした電材販売に特化した専門店となり、現在の小売形態の原型が形成される。 1970年代の秋葉原は、マイコンやジャンク品を取り扱う店舗が軒を連ね、ステレオなどの音響機器がブームとなり、レコード店・音響機器専門店・各種機器部品専門店など、電子機器の販売の細分化の一端として、オヤイデ電気はケーブル専門店としての地位を確立。 と、ここまでは純然たる産業用ケーブル専門店としてのオヤイデ電気だったのだが、オーディオ評論家の長岡鉄男を始めとするオーディオ・マニアらが自作素材としての電線に着目。 そうした流れを敏感に察知した先代のオヤイデ電気社長、小柳出一二が1976年、日本初、オーディオ向けに考案したオリジナル製品第1号のテーブルタップ「OCB-1」を発売。そんな中、特にケーブルに拘ったと云われるオーディオ評論家の江川三郎が、オヤイデ電気で取り扱っていたリッツ線に着目。「電線によって音が変わる」ということを提起したことをきっかけに、オーディオ専用のケーブル開発が始まる。 そして1980年に誕生したのがリッツ線を使用した「OR-800」スピーカー・ケーブルである。こうしてオーディオ専用ケーブルの開発に乗り出したオヤイデ電気は、オーディオ専用ケーブルメーカーのフロンティアとしての歩みを始める。 同時代の秋葉原の様子はと云うと、ファミコンの普及に伴い各種コンピュータゲームのソフトを取り扱う店舗が増え、その流れに乗じてゲーム関連商品の専門店が登場すると、音楽ソフト(CD・ビデオなど)の専門店、キャラクターグッズの専門店と、様々な専門店がその裾野を広げていった。 そして徐々に時は流れて1990年代の秋葉原はと云うと、家電量販店の台頭による販売競争の激化により、家電製品の売上が減少それと入れ替わるようにパソコン及び関連商品の販売店が台頭し、1990年代半ばには大型パソコン専門店が次々とオープン。こうしたメジャーな企業が進出するも、秋葉原のマニアックな広がりは止むことを知らず、美少女やアニメを題材としたゲームソフトが発売されるようになり、サブカルチャーが一般にも認知され、幅広い層からの支持を受けるようになる。 そして2000年代、高級オーディオ機器販売店などの専門店の規模が縮小。代わってアニメ、ゲーム、音楽・映像ソフトなどを扱う店舗が増加。さらに駅前にはアダルトグッズの大型店舗がオープンするなど、これまでに輪をかけてなんでもアリの状態に。そんな混沌とした秋葉原において一筋の光をもたらしたのがオヤイデ電気二代目社長、村山智であった。村山は停滞するオーディオ業界に一石を投じるべく、これまでオヤイデ電気が培ってきた努力と技術を踏襲しつつ、ブランド「オヤイデ電気(OYAIDE)」として新製品の開発に乗り出した。電源ケーブルL/i50シリーズ、テーブルタップOCB-1シリーズ、MTシリーズ、そしてプレミアム導体「PCOCC-A」を採用したTUNAMIシリーズと、数々のヒット商品を立て続けにリリースし、これまで業界に蔓延っていた高かろう良かろうの幻想を一蹴、適正価格で高い性能のオヤイデ電気のブランドイメージを確立。2004年にはアメリカ・アジアのオーディオ・マーケットにも進出、2006年以降、ヨーロッパ諸国、その他全世界60カ国への出荷を行っている。同時に音楽業界などからの人材を多数抜擢し、さらに自作系オーディオマニアとしても名高い“オーディオみじんこ”こと荒川敬を加え、組織をより強固で高いスキルを持つ布陣とした。 また、オヤイデ電気は、従来のオーディオ・マニア向けのプロダクト拡充と並んで、2008年、新たにプロフェッショナル・ブランドである「NEO」を立ち上げ、楽器・機材等、プロフェッショナルに向けたデジタル・アナログケーブルなどの展開を拡大。 2009年にはFiiO、Zephone、Song's Audioなどの国内正規代理店として輸入販売を開始。 2013年冬、古河電工の銅素材「PCOCC」生産中止によって、これまでリリースした製品のほぼ全ての製造の仕様変更を余儀なくされる。しかしそこからオヤイデ電気社長の村山の決断により、自らの手で「導体を創る」という挑戦が始まり「かつて自らの手によって創り上げた製品に対する挑戦。それこそ常に挑戦し続けるオヤイデ電気のスピリット。」として、2014年10月、三洲電線と手を組み、自社ブランドとして安定供給を可能にした精密導体「102 SSC」が誕生し、これまでの製品を敢えてモデルチェンジせず、完成されたコンセプトと設計を踏襲したV2シリーズとしてリリース。 秋葉原の街も、大型家電量販店の秋葉原進出がマニアックでディープな秋葉原の牙城を崩すと思いきや、こちらは秋葉原の再開発とともに経済的相乗効果をもたらし、結果、秋葉原の街を一段と活性化させる一因となった。そんな秋葉原のガード下には今も変わらずオヤイデ電気は店を構えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小柳出電気商会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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