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小栗上野介 : ウィキペディア日本語版
小栗忠順[おぐり ただまさ]

小栗 忠順(おぐり ただまさ)は、江戸時代末期の幕臣勘定奉行江戸町奉行外国奉行
通称は又一。安政6年(1859年)、従五位下豊後守に叙任〔小川 696頁〕。文久3年(1863年)、上野介に遷任され、以後小栗上野介と称される。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英
== 概要 ==
安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。
徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えるも容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁。同年閏4月、薩長軍の追討令に対して武装解除に応じ、自身の養子をその証人として差し出したが逮捕され、翌日、斬首〔村上 179-188頁〕。逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持〔児島 224頁 但し戦備のためではない。〕と農兵の訓練が理由であるとする説や、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)〔川口 89頁-158頁〕などが挙げられるが、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていない。
戦後、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した〔司馬 26頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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