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小栗満重の乱 : ウィキペディア日本語版
小栗満重の乱[おぐりみつしげのらん]

小栗満重の乱(おぐりみつしげのらん)とは、応永29年(1422年)から応永30年(1423年)にわたって北関東で起こった反乱である。小栗氏の乱(おぐりしのらん)とも呼ばれ、また当時の元号から「応永の乱」と呼ばれることもあるが、大内義弘の起こした同名の反乱と区別するために前者で呼ばれることが多い。
== 経歴 ==

室町時代中期に常陸真壁郡小栗御厨を支配していた領主に小栗満重という武将がいた。小栗氏の所領は関東にありながら室町幕府の御料所となっていた中郡荘と近接しており、早くから幕府中央と関係を結んでいた。この満重は応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱で禅秀に味方したため、戦後に鎌倉公方足利持氏から所領の一部を没収されていた。これを恨んだ満重は、応永25年(1418年)・応永28年(1421年)に鎌倉府に反抗的な動きを見せている。応永29年(1422年)に宇都宮持綱桃井宣義真壁秀幹らと共謀して反乱を起こし、一時は下総結城城を奪うなどした。しかし反乱の長期化・強大化を懸念した持氏が応永30年(1423年)に大軍を率いて自ら出陣すると、反乱軍はたちまち崩壊して満重も居城の小栗城で自刃して果てた。この乱には山入氏大掾氏なども加わっていた可能性があること、桃井宣義は中郡荘の幕府代官であった可能性が指摘されており、小栗満重の挙兵の裏には室町幕府の働きかけがあり、それ故に鎌倉公方である持氏自身が出陣したと考えられている(持氏自ら出陣した戦いは、上杉禅秀の乱・小栗氏の乱・永享の乱しかない)〔杉山、2014年、P288-300〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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