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小正裕佳子 : ウィキペディア日本語版
小正裕佳子[こまさ ゆかこ]

小正 裕佳子(こまさ ゆかこ、1983年5月17日〔 - )は、日本疫学者(修士(保健学)〔獨協医科大学 各教員が保有する学位 「 国際協力支援センター > 国際疫学研究室 > 助教 小正裕佳子 修士(保健学)」 平成27年5月1日現在〕)、獨協医科大学助教獨協医科大学 国際疫学研究室 概要 活動および研究内容 〕、ニュースキャスター。元NHKアナウンサー
== 人物 ==
兵庫県出身。宝塚市立宝塚第一小学校神戸女学院中学部・高等学部東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同大学院医学系研究科修士課程修了後、2009年NHKに入局。
神戸女学院中等部時代から大学2年までバスケットボールを続け〔大学時代のブログ「小正裕佳子のミスキャン日記」より〕、大学でサークルはバスケットボール部と弁論部に所属した〔東大ミスコンインタビュー 「理Ⅱ 1年 小正裕佳子」 〕。大学1年時、女子大生向けサイト運営会社にスカウトされてモデルとして活動〔株式会社ナレッジパーク運営の女子大生向けサイト「キャンパスパーク」に所属した。子会社・株式会社TCCが所属モデルのマネージメントを行った。(参考)当時のマネージャ談 - J-CASTニュース 〕、講談社の雑誌KING創刊号で読者モデルとなり〔KING創刊号「Girls Talk」で、4人の女子大生の一人としてと掲載された(他3人は上智大学3年・法政大学1年・青山学院大学3年)。大学時代のブログ「小正裕佳子のミスキャン日記」より〕、学部生時代よりテレビ・ラジオへも出演した(出演番組参照)。モットーは「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」〔新約聖書ローマの信徒への手紙」12章12節 新共同訳、NHK時代のアナウンサー・パーソナルページより〕。
2003年度のミス東大に選ばれ〔歴代東大ミスコンインタビュー 〕、同年、首都圏の大学の「ミスキャンパス」の中からさらに「ミス」を選ぶコンテストでグランプリを受賞した(準グランプリは2003年ミスソフィア杉浦友紀(現NHKアナウンサー): 受賞者一覧参照)。2005年に家庭教師派遣会社のインターネット家庭教師サービスで、受講生が、その女子大生家庭教師51名の中からナンバーワンを決めるコンテストでグランプリを受賞した(準グランプリは2004年ミス東大〔八田亜矢子)〔家庭教師のトライ主催『T-1グランプ』 は、2005年と2006年の2回開催された。同社業務の一つ、インターネット家庭教師「トライ@HOME」で、ナンバーワン女子大生家庭教師を決めるコンテスト。「トライ@HOME」受講生が投票権を持ち、株式会社ナレッジパークの女子大生向けサイト「キャンパスパーク」の協力を得て、エントリーされた女子大生家庭教師51名からグランプリを決める企画
2005年の初開催では、同点でグランプリが2人選ばれた。慶応義塾大学文学部の学生と小正裕佳子。2位は八田亜矢子。(出典)公式サイトのインターネット・アーカイブ、「T-1グランプリは、同点で酒井真弓先生、小正裕佳子先生が受賞となりました。おめでとうございます!」 T-1グランプリ - きみが選ぶインターネット家庭教師 。〕。
2009年5月にNHK新潟放送局配属〔以降、地上デジタル放送推進大使を務め〔関東・甲信越地区地デジ推進大使(NHK:新潟 小正裕佳子)。NHK新潟放送局の女性大使は荒木美和以来。〕、2012年7月にNHK退職の際、新潟県から『にいがた観光特使』に委嘱された〔新潟県 観光大使・観光特使 一覧 ふるさと大使 にいがた観光特使。〕〔「小正裕佳子 元アナウンサーから退職のあいさつ」 NHK新潟放送局 アナウンサー・キャスターブログ 2012年8月1日付〕。
NHK退職後は、東大大学院医学系研究科博士課程に籍を置く一方で〔2013年9月15日講演の講師紹介より。『日本弁護士連合会人権擁護大会プレシンポジウム 放射能汚染の健康への影響』 福島県郡山市に居住し二本松市を拠点に〔新潟日報 2013年6月29日 コラム「風の案内人」(月1回掲載)各寄稿者の紹介より。「NHK新潟放送局の元アナウンサーで、現在は東日本大震災の被災地で支援を行う小正裕佳子さん(福島県郡山市)」
なお、活動拠点は二本松市。上記コラムの冒頭より。『福島に暮らして』小正裕佳子、「私は昨年7月に新潟県を離れ、福島県で暮らしています。大学の研究者を中心とする調査チームに入り、二本松市を拠点に、自治体、地域のNPOなどと連携し、福島第一原発事故の影響について現地調査と支援活動を日々行っています。」
(参考)二本松市の「獨協医科大学国際疫学研究室」福島分室(活動および研究内容 参照)で、スタッフとして活動した(名簿参照 )。〕、医療従事者として東日本大震災による福島第一原発事故の健康への影響について被災地域で調査や研究を行ない、健康面での避難者相談の支援活動にもあたった〔〔東日本大震災・福島原発事故に関する「ニュース」と「お知らせ」 , 桑野協立病院(2013年1月24日), 2013年6月30日閲覧〕。
福島県での放射線被爆実態調査(論文参照)や被災地支援の現場経験にもとづく防災への提言を、同県のみならず、大規模な震災(1964年/2004年/2007年)、水害(2004年)、火山災害(1974年)を経験し、原発では世界最大出力(福島第一原発の1.75倍)の柏崎刈羽原発がある新潟県でもメディアをはじめ行政や民間主催の場で発表している〔【メディア】 新潟日報 2014年4月~11月 『防災・減災キャンペーン2014 新潟日報モア(全6回)』 1964年(昭和39年)の新潟地震から50年を機に、新潟県のこれまでの震災・水害・火山災害の被災地レポート、福島県での調査研究にもとづく提言等。(参考:防災・減災 新潟プロジェクト2014 新潟県・国土交通省北陸地方整備局)。 新潟日報 2013年6月29日 『福島に暮らして』 福島県の震災被災地域の放射線の実態、除染進捗状況、新潟県への提言等。
【書籍】 災害メモリアルイヤーの記録 『あしたのためにできること』 新潟日報社/編(2015年3月)、被災各地の今と未来を伝える「あした青空教室」他。
【講演】2013年9月15日 新潟市 『日本弁護士連合会人権擁護大会プレシンポジウム 放射能汚染の健康への影響』 、副題「チェルノブイリと福島を比較して」、主催:新潟県弁護士会、共催:新潟大学法科大学院・法学部、日本弁護士連合会、関東弁護士連合会。 2014年8月9日 新潟市 『福島の今を聞かせて』 主催:新潟県の省エネ団体、福島県での放射線研究とチェルノブイリ現地調査発表。 2014年8月10日 新潟市 『未来に何を伝えるか ~現場からのメーセージ~』 主催:公益財団法人新潟教育会、福島県の震災後の健康被害実体報告や復興への取り組みを新潟県の防災にどう活かすか。
【司会】 2014年10月20日~23日 新潟市 「国際危機管理学会2014年次大会『防災・減災のための危機管理フォーラム 2014・にいがた』」 、フォーラムのパネルディスカッション司会〕。
2016年に芸能事務所セント・フォース業務提携した〔セント・フォースサイト、小正裕佳子 〕。両者が経営上の独立性を保ち協力できる分野では協力する業務提携という形は、セント・フォースでは草野満代尾崎朋美などが採っている〔セント・フォースサイト、草野満代 尾崎朋美 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小正裕佳子」の詳細全文を読む



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