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小河信俊
小河 信俊(おがわ のぶとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての肥前国龍造寺氏の家臣。 ==生涯== 龍造寺隆信の重臣・鍋島清房の三男として誕生した。永禄元年(1558年)、隆信の執権である小河信安とその嫡子の小河豊前守が神代勝利との戦で討ち死にすると、小河の名跡が絶えるのを惜しんだ隆信の命により、信安の娘を娶って小河氏を継いだ。 永禄4年(1561年)の神代勝利との再戦では、隆信の実弟・龍造寺信周の陣に属して戦い、翌年の肥前有馬氏との戦いでは隆信の旗本衆に属して戦った。元亀元年(1570年)に大友氏が攻めてくると大将の一人として戸次鑑連(後の立花道雪)勢へ打ち掛かり、それより間も無く発生した今山の戦いの際は、兄の鍋島直生(後の直茂)の後詰として西高木にまで出陣したが、兄が勝利したと知り帰城している。 その後も小田鎮光や平井経治、大村純忠攻めなどに大将として参加、隆信の後継である龍造寺政家の政権下では納富家理・土肥家実と共に宿老となった。 天正12年(1584年)、沖田畷の戦いに参戦し討ち死にした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小河信俊」の詳細全文を読む
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