翻訳と辞書
Words near each other
・ 小浜神社秋季祭礼
・ 小浜簡易裁判所
・ 小浜維人
・ 小浜線
・ 小浜自動車学校
・ 小浜英博
・ 小浜藩
・ 小浜藩台場跡
・ 小浜藩砲台跡
・ 小浜藩領承応元年一揆
小浜行隆
・ 小浜裕一
・ 小浜裕久
・ 小浜西IC
・ 小浜西インターチェンジ
・ 小浜西組
・ 小浜警察署
・ 小浜警察署 (福井県)
・ 小浜警察署 (長崎県)
・ 小浜逸朗


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小浜行隆 : ウィキペディア日本語版
小浜行隆[おはま ゆきたか]
小浜 行隆(おはま ゆきたか、貞享元年(1684年) - 宝暦3年12月3日1753年11月27日))は、江戸時代旗本小浜広隆の子。母は安部信之の娘。民松、孫三郎。兄に亀之助、姉に大久保忠明室(のちに離縁)。室は内田正衆の娘(のちに離縁)。子女に民松(早世)、小浜矩隆室(のちに離縁)、小浜季隆高力長貫高力長行養子)、坪内定孝室、助吉、小浜朝隆永見為章室(のちに離縁)、仙石状久仙石久住養子)、ほかに女子1人。
宝永2年(1705年)父の広隆が没し家督を継ぎ、同年摂津国の領地を越後国蒲原郡内6,000石に移され、知行所を沢海に置く。享保9年(1724年)3月15日大坂御船手となり、同年布衣を着ることを許される。享保14年(1729年)3月29日職を辞する。享保15年12月3日隠居し家督を子の小浜季隆に譲り、宝暦3年(1753年)70歳で没した。法名は無三。墓所は、東京都文京区駒込の吉祥寺。子孫はのちに4,000石となるが、幕末に至るまで存続した。
== 参考文献 ==

*寛政重修諸家譜



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小浜行隆」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.