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自自連立政権にさらに公明党が加わったことを契機に、内閣総理大臣の小渕恵三が小渕第1次改造内閣を内閣改造して誕生させた内閣である。 2000年(平成12年)4月1日までは自由民主党、自由党、および公明党との自自公連立政権であった。2000年(平成12年)4月1日以後は自由民主党、(自由党から分裂して結成された)保守党、および公明党との自公保連立政権となった。 もともとは、1999年10月1日に組閣される予定であったが、前日に発生した東海村JCO臨界事故への対応のため、4日間延期され、この日に発足することとなった。 == 概要== === 加藤・山崎への冷遇 === 小渕恵三首相は、1999年(平成11年)の自民党総裁選で無投票当選にこだわるが、加藤紘一と山崎拓に立候補されてしまう。 その後に続く内閣改造・党三役人事では、総務会長に加藤派が推挙した小里貞利を拒否、加藤に総裁選辞退を訴えていた政調会長の池田行彦を一本釣りし総務会長に横滑り起用。また加藤のライバルであった元総裁で早稲田出身の河野洋平を外相に起用した。また山崎派が推挙した保岡興治の入閣も拒否し、早稲田大学雄弁会の先輩・深谷隆司を通産相に起用した。これは総裁選後の報復人事と囁かれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小渕内閣 (第2次改造)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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