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上街道(うわかいどう)は、江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還(街道)。「木曽街道」、「名古屋往還」とも呼ばれていた。 == 概要 == 江戸時代に尾張藩が独自に作った街道で、名古屋城下の東片端(現在の愛知県名古屋市東区)から中山道の伏見宿(現在の岐阜県可児郡御嵩町)までを結んでいた。総距離は、10里8丁(約40km)。途中3つの宿場町があった。名古屋から楽田追分(現在の愛知県犬山市)までは稲置街道とルートが重複している。軍事的な事情から、大きな川に橋がない・升形が多い・2間幅であるなど、五街道に準じた道の作りになっている。現在の国道41号や名鉄小牧線・名鉄広見線に相当する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上街道 (木曽街道)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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