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婕妤王氏(しょうよ おうし、1107年〔『開封府状』によれば「小王婕妤二十歲。」〕 - ?)は、北宋徽宗の妃嬪。徽宗には他にも王姓の婕妤がおり、その区別のためもあって小王婕妤と呼ばれる。 == 生涯 == 婕妤(嬪より低い位)の位を授けられた。 靖康の変で金に連行された時、王氏は妊娠しており、連行途中の4月に男子を出産した。金に到着後は、産婦だったことを考慮されたため、兵に凌辱されて妊娠した5人の妃嬪と一緒に、昏徳公(徽宗)のもとに帰された。 以後、この息子の記載はない。小王婕妤は、南宋と金の国交が回復した時(1162年)まで、金で暮らしていたことが伝わっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小王ショウヨ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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