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小田原担ぎ(小田原流)(おだわらかつぎ)は、小田原独特の神輿を担ぐ際の様式の一つである。一般的に小田原流と呼ばれ同市内のいくつかの神社で見られる。松原神社が発祥とされるが、無形民俗文化財の山王原大漁木遣唄がある山王神社も古くからこの担ぎ方であったと言われ、例大祭が同時開催される大稲荷神社の本社神輿と町会神輿の一部、居神神社の町会神輿の大半が小田原流で渡御される。この4社の例大祭を総称し、観光行事である北條五代祭りと区別して「4社の祭り」「小田原の祭り」と呼ぶ人もいるが、現時点では隣接・重複地域で渡御の通過往来が観られるくらいである。 他では久野の神山神社、荻窪の市方神社など市内各所で見られ、どっこい担ぎや江戸前担ぎと共に小田原流を組み合わせて渡御する町会・同好会もある。なお、小田原市内の神社全てが必ずしも小田原流という訳ではない。 == 小田原流の特徴的動作 == ===掛け声と進行・突っ駆け=== 神輿の担ぎ方にも地方や祭礼によって担ぎ方が多数ある。 小田原担ぎは漁に関した動きを模しており、通常状態で練り歩く時の掛け声は「オイーサー・コリャサー」若しくはこれに近い発音で渡御される。一般的にオイサはリード役で、芯出しを始めとした少人数で掛け、コラサは他の全員で掛ける事が多い。 足並みは平担ぎと同様に通常の歩行と同じであり、神輿の移動速度としては他の担ぎ方よりも格段に早い。このためパレードなどで他の担ぎ方の神輿が前にいる場合はすぐに追い付き、逆に小田原流が先になった場合は左右に練って時間を稼がないと、後ろとの間隔は広がる一方である。 全国的にも珍しい点は、民家・商店・祭礼事務所・山車・神社などに木遣り唄の一種である「浜木遣り」と共に神輿を担いだまま走って突っ込む(跳ぶ|突っ駆ける)事である。この「浜木遣り」は漁師の掛け声が元であり、鳶などの木遣師のそれとは異なる。祭礼においてはどっこい担ぎで言えば甚句に相当する。〔 小田原、浜木遣り>数え唄 〕 なお、全国的に”走る神輿”は千葉房州や、瀬戸内海の真鍋島〔離島経済新聞 〕など少数ながら存在するが、後述する神輿の合体は全国でも他所では見られない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田原担ぎ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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