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小田原空襲[おだわらくうしゅう]
小田原空襲(おだわらくうしゅう)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)にアメリカ軍により行われた神奈川県小田原市に対する空襲である。小田原は地域一帯を焼き払う絨毯爆撃を受けることはなかったが、アメリカ軍が攻撃目標とした180都市のうちの96番目に指定されており〔小田原市 2001、571-572頁〕〔井上 2002、72-74頁〕、終戦までにP-51 マスタングなどの戦闘機による数度の攻撃を受け、同年7月17日と8月15日にはB-29が予定計画外に投棄したとみられる焼夷弾による被害を受けた。 == 経緯 ==
=== 7月17日の空襲 ===
1945年(昭和20年)7月16日23時32分から翌7月17日1時12分にかけて近隣の平塚市はアメリカ軍第20航空軍所属の第314航空団による空襲を受けたが(平塚空襲)〔井上 2002、78-80頁〕、小田原市内でも空襲があり早川地区の国有鉄道早川駅周辺で3人、多古地区で1人の合計4人が死亡した〔。第314航空団は平塚を空襲後に左旋回し足柄上郡松田町のポイントから伊豆半島の最南端に位置する石廊崎のポイントを経由して基地へ帰還するように定められており〔〔、松田と石廊崎を結ぶ直線上に近い小田原市内に余剰爆弾を投下したものと推測されている〔。なお、アメリカ軍の報告書には小田原市内に関する記録は残されていない〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田原空襲」の詳細全文を読む
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