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小田急1700形電車(おだきゅう1700がたでんしゃ)は、小田急電鉄がかつて保有していた特急用車両である。 1951年に、本格的な特急専用車両として登場した車両で、特急ロマンスカーの地位を不動のものにした車両とされている〔保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)p16〕。3両編成×3本が製造されたが、3000形SE車が4編成揃った後に通勤車両に格下げされ、中間車を増備の上3扉ロングシート4両編成×3本に変更されたが、車両の老朽化から主電動機(モーター)を4000形に提供することになり、1974年11月に全車両が廃車となった。 制御装置から趣味者の間および会社内部においてABF車〔ABFは三菱電機の直流電車用自動加速形制御装置の形式名で、本来は三菱電機の提携先であるアメリカ・ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製制御器の形式名に由来し、A:Automatic acceleration(自動加速) B:Battery voltage(低電圧電源) F:Field Tapper(弱め界磁制御)の各機能に対応することを示す。 〕と呼称されていた。 == 登場の経緯 == 1948年10月に1600形により再開された「週末温泉特急」は、予想を上回る好成績となり〔『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p58〕、これに対応して、1949年8月からはセミクロスシートを装備した1910形(2000形)を投入した。1950年8月1日からは箱根登山鉄道箱根湯本駅への乗り入れが開始され、これによって特急の利用者はさらに増加し〔、特急券が入手できないという乗客からの意見が多くなっていた〔『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p11〕。 このため、小田急では特急用の車両を増備することで対応することになったが、ここで1910形(2000形)を増備するか、新形式の車両を投入するかという二つの案が出ていた。それまでの思想を通すのであれば、1910形(2000形)のように通勤ラッシュ時にも使用できる車両の投入ということになるが、それでは料金を徴収する特急でありながらロングシートがあるなど、中途半端な装備となることから、営業部門からは特急専用車を望む声は強かった〔大正出版『小田急 車両と駅の60年』p86〕。その一方、特急券が入手できないというのは土曜・休日のことで、平日は空いていたことから、平日のラッシュ輸送に使用できない特急専用車を持つ余裕はないという意見も強かった〔。社内での検討が繰り返され、最終的な結論としては、将来を考えて特急専用車を導入する〔が、製作費を極力切り詰めるために、台枠は日本国有鉄道(国鉄)の戦災復旧車や事故焼失車のものを流用し、台車や主電動機についても1600形から流用することになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田急1700形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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