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小田急2300形電車(おだきゅう2300がたでんしゃ)は、かつて小田急電鉄に在籍した特急用車両である。 1955年(昭和30年)に登場したが、当初から「新形特急車両の登場までのつなぎ役」としての役割で、新形特急車両の3000形(SE車)が4編成揃った1959年には本形式は特急運用から外れ、特急の補完を行なう準特急〔小田急の準特急は接客設備の格差によるものであった。接客設備の格差を理由に格下の種別を使用した事例は他にも東武伊勢崎・日光線系統の快速急行「だいや・おじか」がある(こちらも他社の快速急行とは異なり、急行の速達化というより急行「りょうもう」よりランクが劣る快速用車両を使用したものであった)。〕用の車両に格下げ改造された。しかし、格下げ後4年後の1963年には、3100形(NSE車)が増備されたことから準特急という種別そのものが廃止となり、2320形とともに3扉ロングシートの通勤車両へ再度格下げ改造された。改造後は2200形・2220形・2320形と共通運用で使用され、4形式とも搭載制御装置にちなみABFM車(またはFM車)と呼称された〔三菱電機製の直流電動車用制御装置の形式名で、自動加速 (Automatic acceleration) 、低電圧制御 (Battery voltage) 、弱め界磁付 (Field tupper) 、多段進段 (Multiple notch) の英頭文字をとったものである。〕。 1982年(昭和57年)8月に4両全車両が廃車となったが、これはABFM車では初の廃車であった。廃車後は富士急行に売却され、同社5700形として使用されたが、富士急行においても5700形では最も早い1993年(平成5年)10月に2両が廃車となり、残る2両も1995年(平成7年)10月に廃車となった。 == 登場の経緯 == 小田急では初の特急専用車で、特急ロマンスカーの地位を不動のものにした車両とされている〔保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)p16〕1700形が導入されて以後、特急の利用者数は増加の一途をたどった。 この時期既に、新宿駅から小田原駅までを60分で結ぶことを目標として〔『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p12〕、当時としては画期的な高性能新型特急車両の開発・設計が進められていた〔『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p64〕が、特急の利用者数の増加は予想を上回り〔大正出版『小田急 車両と駅の60年』p87〕、1954年頃には更なる増備が営業部門から強く要望される事態になり〔、新型特急車両の登場を待つ余裕はないと判断された〔。 しかし、通勤車には2200形がカルダン駆動方式で登場しており、特急車を旧式の吊り掛け駆動方式で増備することは得策ではないという判断から、新形特急車両の登場までの暫定的な特急車両として2200形の走行機器と特急用の車体を組み合わせた車両を導入することとなり、1955年に登場したのが本形式である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田急2300形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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