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小田急50000形電車(おだきゅう50000がたでんしゃ)は、2005年から小田急電鉄(小田急)が運用している〔『鉄道ジャーナル』通巻464号 p.36〕特急用車両(ロマンスカー)である。 小田急のフラッグシップモデルとして位置づけられ〔、箱根方面への特急ロマンスカーに使用されていた10000形(HiSE車)の置き換え〔とともに、箱根の魅力向上と活性化〔、さらには小田急ロマンスカーブランドの復権〔を目的として登場した。デザインや設計を全面的に見直し〔、最新技術などを取り入れる〔とともに、過去に小田急で試験を行なっていながら採用されていなかった技術も採用され〔、旅客設備についても最高のものを目指した〔。客室内の様式から "Vault Super Express" (略して「VSE」)という愛称が設定され〔、2005年には照明学会より「照明普及賞優秀施設賞」を〔、同年度には日本産業デザイン振興会より「グッドデザイン賞」を〔、2006年には鉄道友の会より「ブルーリボン賞」を〔、2006年度に香港デザインセンターより「アジアデザイン大賞」を〔、2007年にはドイツ・ハノーファー工業デザイン協会より "iF product design award 2007" を受賞した〔。 小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している〔ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「50002×10」のように表記する。また、初代3000形は「SE車」、3100形は「NSE車」、7000形は「LSE車」、10000形は「HiSE車」、20000形は「RSE車」、30000形は「EXE車」、本形式50000形は「VSE車」、箱根登山鉄道箱根湯本駅へ乗り入れる特急列車については「箱根特急」、小田原方面に向かって右側を「山側」・左側を「海側」と表記する。 == 登場の経緯 == === 箱根特急の利用者数減少 === 元来、小田急ロマンスカーは箱根への観光客輸送を目的として設定されており〔、1966年6月1日から設定された〔途中駅に停車する特急も、元来は沿線在住の箱根観光客を対象としたものであった〔。しかし、1990年代に入ると箱根特急の利用者数は年率5%程度の減少傾向が続いており〔、その一方で観光客以外の日常利用が増加する〔など、小田急ロマンスカーの乗客層には変化が生じていた。これに対応して、NSE車を代替する特急車両として〔、箱根特急の利用者減少を日常的な目的での特急利用者を増加させることで補う意図から〔1996年にEXE車を導入していた〔が、EXE車ではそれまでの小田急ロマンスカーの特徴であった前面展望席も連接構造も導入しなかった〔。 ところが、特急の年間利用者数は1987年時点では1,100万人だったものが2003年には1,400万人に増加した〔一方で、箱根特急の利用者数は大幅に減少するという事態になった。箱根を訪れる観光客も1991年の年間2,250万人をピークとして減少傾向ではあったが、2003年時点では年間1,970万人とピーク時と比較すると約15%程度の減少率であった〔のに対し、箱根特急の利用者数は1987年時点では年間550万人だった〔ものが2003年時点では年間300万人と、約45%も減少していた〔。つまり、箱根を訪れる観光客の減少以上に、箱根特急の利用者数は減少していたのである〔。 2001年に入り、小田急ではロマンスカーに期待されている事柄を調べるため、市場調査を行なった〔。その結果、「ロマンスカーの利用を検討したい」と回答した人の多くは、その理由として展望席を挙げていた〔。つまり、EXE車には「小田急ロマンスカーのイメージ」とされた展望席が存在しなかったため、別の交通手段に転移していたと考えられたのである〔。現実に、家族旅行で箱根特急を利用する際に、EXE車を見た子供から「こんなのはロマンスカーじゃない」と言われてしまうことがたびたび発生した〔。その一方、2001年に東日本旅客鉄道(JR東日本)が湘南新宿ラインの運行を開始し〔、2004年からは増発され、新宿から小田原までの所要時間も小田急ロマンスカーとあまり変わらなくなった〔。箱根への交通手段は、「必ずしもロマンスカーでなくてもよい」という状況になっていたのである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田急50000形電車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Odakyu 50000 series VSE 」があります。 スポンサード リンク
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