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小田急9000形電車(おだきゅう9000がたでんしゃ)は、小田急電鉄(小田急)が1972年から1977年まで導入を行なった通勤車両である。 1970年代から開始された、当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)千代田線相互直通運転のために導入された車両〔小山 (1985) p.40〕で、当初は4両固定編成で製造され、追って6両固定編成も登場、最終的には4両固定編成と6両固定編成がそれぞれ9編成の合計90両が運用された〔吉川 (1987) p.72〕。小田急の通勤車両では初めて他事業者路線への乗り入れを前提とした車両になることから、それまでの小田急の通勤車両の標準仕様とは異なる新技術が採用された〔。そのスタイルや車両仕様が評価され、1973年には鉄道友の会よりローレル賞を授与された〔。1978年から1990年まで千代田線直通列車を中心に運用され、その後も箱根登山鉄道線への直通運転を含む地上線で広範囲に運用されたが、後継車両の導入に伴い2006年で全車両が廃車となった〔『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.294〕。 小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している〔『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15〕ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「9010×4」「9402×6」のように表記する。また、特定の車両については車両番号から「デハ9400番台」などのように表記し、「急行列車」と記した場合は準急や急行を、「直通列車」と記した場合は小田急小田原線と営団地下鉄(現・東京地下鉄)千代田線を直通する列車をさすものとする。 == 登場の経緯 == 朝ラッシュ時における小田急の通勤輸送は、1969年より大型通勤車両による8両編成での運行のために5000形の4両固定編成が製造されていたが、この時期すでに千代田線との直通運転は決定していた〔『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.98〕ものの、5000形の登場時点では、まだ乗り入れ車両に関する具体的な設計協議には入っていなかった〔。 しかし、その後2事業者間での協議が進むにつれ、早ければ1974年には直通運転が開始される見通しとなった〔『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.101〕。当時の小田急では、年間の車両製造数を20両から30両前後としていた〔ことから、あらかじめ直通運転に必要な両数を製造して直通運転開始時に備える必要があった〔。その一方で、直通列車以外の輸送力の増強も継続するため、5000形の増備を一時中断した上で〔『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.114〕、直通列車と自社線内の列車のどちらにも使用できる車両〔として製造されることになったのが9000形である。 5000形の次の新形式車両なので、本来であれば「6000形」となるべきところであった〔が、すでに営団地下鉄では千代田線用の車両として6000系の試作車両が登場しており、同一番号となる可能性があった〔ため、千代田線の計画路線名称である「9号線」に合わせて9000形と仮称した〔ものが、そのまま正式な形式名として採用された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田急9000形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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