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小田急電鉄の荷物電車 : ウィキペディア日本語版
小田急電鉄の荷物電車[おだきゅうでんてつのにもつでんしゃ]


小田急電鉄の荷物電車(おだきゅうでんてつのにもつでんしゃ)では、かつて小田急電鉄(前身である、小田原急行鉄道および東京急行電鉄大東急)時代も含む)により行われていた荷物輸送の歴史について記述する。
本項では以下、単に「小田急」と表記した場合は小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとする。
== 歴史 ==

小田急における荷物輸送は、1927年4月1日の小田原線開業当時に、荷物室を備えた101形電車によって手小荷物の輸送を開始したのが始まりである〔。この当時は、鉄道旅行においては駅で手荷物を預けた上で、旅客の乗る列車と同一の列車で輸送しており〔、小田急も旅客と手荷物の同時輸送を考慮していたとみられている〔。同年秋に増備された131形電車151形電車でも荷物室を設けており、同年11月からは荷物専用の車両としてモニ1形電車が導入されている〔。ただし、現実には旅客と手荷物の同時輸送という需要はほとんどなく〔、1929年に江ノ島線が開業した際の増備車には、荷物室は設けられなかった〔。
当時は小田原線を毎日2往復の荷物列車が設定されていた〔。江ノ島線開業と同時に、江ノ島線でも荷物輸送が開始されている〔が、こちらは専用の荷物列車の運行はなく〔、旅客列車に荷物を積載しての運行であった〔。1939年3月には、逓信省からの要請を受けて〔郵便逓送業務を行なうことになり〔、逓信省の負担によりモニ1形のうち2両が郵便室を設置の上モユニ1形に改造された〔。改造されなかったモニ1形は1941年に廃車となった〔。
戦後も同様の運行形態が続いたが、荷物輸送が多くなり、1957年にはデハ1100形から1両が荷物車に改造されて、デニ1100形として運用を開始した〔。特に学期始めや学期末などにはしばしば2両編成となり〔、時には3両編成での運行もみられるようになった〔。
1955年頃、自動車の増加が著しいため定時輸送が困難になっているという理由で、日本新聞協会か新聞配送連盟から鉄道による新聞輸送の要請があった〔。始発電車前の運行となり、保線を担当する部署からは「保守間合いが確保できない」と猛反対があった〔が、結局1955年10月から近郊区間の新聞朝刊輸送が開始された〔〔新宿を午前4時5分に出発し、向ヶ丘遊園に午前4時39分に到着して、新宿まで回送される設定であった(生方 (1999) p.122)。〕。1959年4月1日のダイヤ改正からは、夕刊の輸送も開始された〔〔新宿を午後3時43分に出発し、向ヶ丘遊園に午後4時13分に到着して、経堂まで回送される設定であった(生方 (1999) p.121)。〕。
1962年12月3日のダイヤ改正では、朝刊を輸送する列車については廃止となった〔が、夕刊輸送用の列車は運行区間が小田原まで延長された〔〔新宿を午後2時36分に出発し、小田原に午後4時40分に到着する設定であった(生方 (1999) p.122)。〕。また、この時から新聞列車はデニ1000形・デニ1100形ではなく、1200形1300形1400形が使用されるようになった〔。このダイヤ改正からは江ノ島線にも荷物列車の運行が開始された〔。1963年4月1日のダイヤ改正で、向ヶ丘遊園止まりの新聞輸送電車は相模大野まで延長された〔ほか、小田原行きの新聞輸送電車は1300形の単行運転となった〔。1969年には1300形が荷物電車に改造されて、デニ1300形として運用に加わった〔。
その後、1971年には郵便輸送が廃止され、デユニ1000形は郵便室を撤去した上でデニ1000形に改造された。1972年には荷物輸送は社用品の輸送と兼用されることになり〔、配送列車という扱いに変更された〔〔新宿の小田急百貨店での購入品の配送も行われていた(山下 (1982) p.86)。〕。1973年には新宿駅の改良工事に伴い、新宿駅の荷物扱いホームが廃止されることになり、運行区間は経堂から小田原・江ノ島間に短縮された〔。また、輸送量の減少により、1976年にはデニ1000形1両とデニ1100形1両が廃車となった〔。1981年の時点では、運行区間は経堂から小田原・長後間となっていた〔。
1984年3月21日限りで、開業以来続けられた荷物輸送は廃止となり〔、同年3月31日限りで社用品輸送も終了となった〔ことにより、小田急の荷物電車は全廃となった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小田急電鉄の荷物電車」の詳細全文を読む



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