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小田貫一[おだ かんいち]
小田 貫一(おだ かんいち、安政3年3月(1856年) - 明治42年(1909年)7月22日)は、日本の政治家、広島市長(第六代)。 == 経歴 == 安芸国佐伯郡宮内村(現廿日市市)出身。家は代々農を業とする〔『明治人名辞典Ⅱ 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)をノ三十一〕。上京して慶應義塾を卒業したのち、広島県会議員を経て宮内村村長となる〔衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。〕。 第2回衆議院議員総選挙に立憲政友会からの推薦を受けて当選(以後6回当選)。のちに政友会を離党して社交俱楽部を組織した。明治41年(1908年)3月2日の第24回帝国議会「神職養成部国庫補助二関スル建議案委員会」で委員長として「国家神道」という言葉を初めて公に使用した。その他、『広島新聞』の経営などに携わる。 明治42年(1909年)、広島市長。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田貫一」の詳細全文を読む
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