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小縣 裕介(おがた ゆうすけ、1971年9月29日 - )は、朝日放送(ABC)所属のアナウンサー。 == 来歴 == 兵庫県神戸市の出身で、兵庫県立兵庫高等学校と関西学院大学経済学部を卒業。落語家の桂吉弥は、母方の遠縁の親戚に当たるという〔2014年10月10日にABCラジオで放送された『キチキチきちっと20年、桂吉弥です!』で、吉弥や武田が言及。〕。 大学卒業後の1994年に、アナウンサーとして朝日放送へ入社。入社試験では、当初不合格にされそうになった。しかし、当時試験官を務めた道上洋三や安部憲幸が、面接時でのフリートークの面白さなどを評価。彼らの強い推薦もあって、清水次郎と共にアナウンサーとして採用された。 朝日放送への入社後は、清水と共にスポーツ中継の実況を担当してきた。スポーツ中継では、主に野球・サッカー・ゴルフを担当。その一方で、音楽番組やスポーツ情報番組を中心に、ラジオパーソナリティを長年務めてきた。ラジオの深夜番組『ABCミュージックパラダイス』では1995年1月から13年余りにわたってパーソナリティを担当。同番組でのリスナー投票をきっかけに、ニックネームの「ガッチ」が放送で定着した。また『F.C.オフサイドトーク』(サッカー情報番組)、『ガッチ The Music』(音楽番組)などのパーソナリティも歴任。日曜日午後のワイド番組『SUPER SUNDAY ガッチとジロー』では、「ジロー」こと清水とのコンビで生放送を進行していた。同番組の終了後も、野球中継やスポーツ関連番組で、スポーツアナウンサーとして清水とたびたび共演している。 趣味はサッカー。審判の免許を持つほか、休日には地元の草サッカーチームでプレーしている。かつては、ABCラジオの『おはようパーソナリティ道上洋三です』でサッカーの話題を扱う際に、「朝日放送で最もサッカーに詳しい"ガッチ"」として電話で出演することがあった。 サッカーの取材歴も豊富で、1997年にはABCラジオのリポーターとして、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1998 FIFAワールドカップのアジア第3代表決定戦(日本対イラン戦)を取材。FIFAワールドカップでも、フランス(1998年)・ドイツ(2006年)の両大会に朝日放送から取材リポーターとして派遣された。日韓共催となった2002 FIFAワールドカップでも、自費で取材に奔走している〔2009年12月28日放送の『F.C.オフサイドトーク』より〕。 私生活では、2003年10月に同僚アナウンサーの武田和歌子と結婚。結婚後も、『武田和歌子のぴたっと。』シリーズ(ABCラジオ)などの番組で、武田と共演することがある。また、カレーが大好物で、スキューバダイビングのライセンス、書道2段、英検2級の資格を保有。武田と結婚してからは、夫婦での登山も趣味に加わった〔2009年10月17日にABCラジオで放送された『ようこそ!伊藤史隆です』での伊藤史隆の証言より〕。 2009年9月14日から2011年9月30日までは、ABCテレビ夕方のニュース番組『NEWSゆう+』に、2代目のメインキャスターとして出演していた。同番組のキャスター就任を機に、野球中継の実況からいったん離れたものの、スポーツアナウンサーとしての活動は継続。2009年12月28日までは、毎週月曜日の同番組本番終了後に、生放送の『F.C.オフサイドトーク』にも出演していた。2010年にも、2010 FIFAワールドカップ期間中に『F.C.オフサイドトーク』の特別番組でパーソナリティ、『マイナビABC チャンピオンシップゴルフトーナメント』のテレビ中継(土・日曜日放送分)で実況をそれぞれ担当。同年9月から2011年3月までの『NEWSゆう+』では、同番組を放送しない週末に自らスポーツ選手へ取材した模様を、月曜日のコーナー「月曜ガッチスポーツ」で自ら報告していた。 その一方で、2011年度のナイターオフ期間には、ABCラジオで『おっちゃんラジオ』火曜日「小縣裕介のガッチ・ザ・グレイト」のパーソナリティを担当。2012年からは、清水と共にデスク業務へ就くかたわら、スポーツアナウンサーとしての活動を本格的に再開している。2015年1月9日には、椎間板ヘルニアで療養中の武田に代わって、『武田和歌子のぴたっと。』の全編でパーソナリティを務めた〔和歌子の夫、ガッチです!! (『武田和歌子のぴたっと。』公式サイト内2015年1月19日付「ぴたっと。日記」)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小縣裕介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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