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小石元瑞 : ウィキペディア日本語版
小石元瑞[こいし げんずい]
小石 元瑞(こいし げんずい、天明4年11月20日1784年12月31日) - 嘉永2年2月10日1849年3月4日))は、江戸時代後期の蘭学者蘭方医新宮凉庭とともに京都の二大蘭方医と称揚される。父は医師小石元俊
は龍または橘龍、を矼軒。檉園・蘭斎・秋巖仙史・拙翁・用拙居・用拙居主人・松芝老人・五竹茶寮など。京都の人。
== 略歴 ==
元瑞は病弱だったが父元俊に厳しく育てられ、幼少期には大坂にて篠崎三島の梅花塾に入門し経学を修める。父とともに慈雲に参禅している。
16歳で江戸に下り、杉田玄白大槻玄沢宇田川玄随などに就いて蘭学医学を学んだ。京都に戻ると漢蘭折衷医となり、父より医学塾究理堂を引き継いだ。延べ患者数1万人以上、門弟千人にも達したという。
医業の傍ら漢詩煎茶茶の湯などに親しみ、青木木米田能村竹田浦上春琴山本梅逸小田海僊頼山陽篠崎小竹細川林谷市河米庵を始め、多くの文人と交友した。とりわけ頼山陽の理解者となり公私に亘り支援した。小石家の下女であった梨影を養女としたのち山陽に嫁がせている。また山陽の義妹を自らの妻とした。
享年68。墓所は大徳寺孤蓬庵。法号は三秀軒檉翁宗竜居士。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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