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小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 大分県速見郡日出町出身〔俳句お任せ西武小石 お立ち台から一句!? 日刊スポーツ 2012年1月13日紙面から〕。大神小学校1年生の時に外野手として野球を始め、4年生時から投手としてもプレー。大神中学校を経て鶴崎工業高校に進学したが、甲子園出場経験は無い〔。 立正大学4年生の時にチームは東都大学野球リーグ初優勝〔立正大初V!創部61年で悲願達成 スポニチ Sponichi Annex 2009年10月29日〕。チームが優勝した同年の第40回明治神宮野球大会では2試合に先発登板し、計14回を投げ被安打5、奪三振19、防御率0.00だった〔第40回記念明治神宮野球大会 試合結果 2回戦 東北福祉大 - 立正大 、第40回記念明治神宮野球大会 試合結果 決勝戦 上武大 - 立正大 公益財団法人 日本学生野球協会〕。大学通算成績は23試合85回1/3を投げ3勝5敗、防御率1.58で〔「別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2012」 宝島社発行 46頁〕、勝利はすべて4年生時の秋季リーグで挙げた〔新人・小石が締めた!NTT東日本盤石継投 スポニチ Sponichi Annex 2010年11月13日掲載〕。大学では1年下で2010年にロッテに入団した南昌輝とチームメイトだった。 NTT東日本1年目の2010年、第81回都市対抗野球大会で3試合に救援登板し計6回1/3を投げ被安打0、奪三振8、防御率0.00だった〔第81回 都市対抗 本大会 9月1日 東京ドーム 第3試合 1回戦 、第81回 都市対抗 本大会 9月4日 東京ドーム 第2試合 2回戦 、第81回 都市対抗 本大会 9月5日 東京ドーム 第3試合 準々決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕。第37回社会人野球日本選手権大会では4試合(うち先発2試合)に登板し〔日本選手権 第37回社会人野球日本選手権大会 10月30日 わかさスタジアム京都 第2試合 1回戦 、第37回 日本選手権 本大会 11月9日 京セラドーム大阪 第3試合 2回戦 、第37回 日本選手権 本大会 11月12日 京セラドーム大阪 第1試合 準々決勝 、第37回 日本選手権 本大会 11月13日 京セラドーム大阪 第1試合 準決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕、大会の優秀選手に選ばれた。 2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2巡目で指名され〔2011年 ドラフト会議開催! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011年10月27日配信〕、契約金7,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で合意し〔でんでん太鼓投法?ドラ2小石 西武と入団合意 スポニチ Sponichi Annex 2011年11月28日掲載〕、入団。背番号は29 に決まった〔2011ドラフト指名6選手 入団発表会! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011年12月7日配信〕。 11月に行われた第82回都市対抗野球大会では3試合に先発登板し、21回2/3を投げ被安打12、奪三振19、自責点1で防御率0.42の成績で〔第82回 都市対抗 本大会 10月27日 京セラドーム大阪 第3試合 2回戦 、第82回 都市対抗 本大会 10月30日 京セラドーム大阪 第1試合 準々決勝 、第82回 都市対抗 本大会11月1日 京セラドーム大阪 決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕、久慈賞(敢闘賞)受賞し、大会優秀選手にも選ばれた。チームは決勝戦で敗れ準優勝だったが、決勝戦の対戦相手だったJR東日本の先発投手はこの年のドラフトで同じ西武から1位指名を受けていた十亀剣だった〔第82回 都市対抗 本大会11月1日 京セラドーム大阪 決勝 公益財団法人 日本野球連盟]〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小石博孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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