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小竜景光[こりゅうかげみつ] 小竜景光(こりゅうかげみつ)は、鎌倉時代の備前国(岡山県)の刀工・景光作の太刀である。鎺元(はばきもと)に精緻な倶梨伽羅竜の彫り物があることからこの名がある。楠木正成(楠公)の佩刀であったと伝えられていることから「楠公景光」とも呼ばれる。東京国立博物館所蔵。国宝に指定されている。 国宝指定名称は「太刀 銘備前国長船住景光 元享二年五月 日(小竜景光)(たち めいびぜんのくにおさふねのじゅうかげみつ げんこうにねんごがつひ〈こりゅうかげみつ〉)」。 == 概要 == 景光は鎌倉時代後期の備前国長船派の刀工で、同派の代表的刀工である長光の子とされている。小竜景光は、後世に磨上げ(すりあげ、寸法を切り縮めること)がされているが、なお腰反りが高い(太刀の元の方で大きく反り、切先辺では直線に近くなるという意)。地鉄(じがね)は小板目肌と呼ばれる細かく目の詰んだものであり、刀剣用語で小互の目(こぐのめ)、丁子(ちょうじ)などと呼ばれる、変化の多い刃文を焼いている。銘は表に「備前国長船住景光」、裏に「元亨二年五月日」とあり、元亨2年(1322年)の作であることがわかる。ちなみに江戸時代末期の刀工・固山宗次による写しもある。 かつて楠木正成の佩刀(はいとう)であったと伝承されるが、近世を通じて文献にまったく記録が残っていなかった。その後、江戸時代末期に山田浅右衛門の所蔵として突如として現れ、後に山田家より明治天皇に献上された。明治天皇はサーベル形式の軍刀拵の外装を作製し、大本営が広島に移った時も携えていたとされる。 第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)、御物(皇室所蔵品)から東京国立博物館に移管された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小竜景光」の詳細全文を読む
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