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小笛事件(こふえじけん)は、1926年(大正15年)に京都府京都市で発生した4女性の変死事件である。 6月30日、京都市北白川に住む平松小笛の自宅で、小笛とその娘、そして小笛が預かっていた知人の娘2人が死亡しているのが発見された。現場の様子は小笛が3人を巻き込んで心中を遂げたもののように思われたが、小笛の遺体には索溝が2条あるなど、他殺を疑わせる所見もあった。最初に行われた法医鑑定の結果では小笛の死因が自殺を偽装した他殺とされたため、当局は小笛の愛人であった広川条太郎を検挙した。 しかし、京都地裁で開かれた一審では5人の鑑定人が提出した再鑑定結果が、小笛の死因について自殺説と他殺説の2派に分裂した。結局、翌1927年(昭和2年)12月12日に下された一審判決では、広川は証拠不十分により無罪とされたが、検察側は控訴した。大阪控訴院での二審では、さらに2人の鑑定人による再々鑑定結果が提出されたが、これは両方とも小笛の死因を自殺とするものであった。これを受けて検察側は、自ら広川の無罪を求める論告をなすという異例の対応を行い、これによって翌1928年(昭和3年)12月5日、大阪控訴院は再度の無罪判決を広川に言い渡し、事件は終結した。 判決から4年後の1932年(昭和7年)には、推理作家の山本禾太郎が事件を扱ったノンフィクション小説を書いたことでも知られる。 == 背景 == 1926年(大正15年)当時、京都府京都市上京区(後に分区され左京区)の北白川西町に、平松小笛(ひらまつ こふえ)という47歳の女が住んでいた〔細川 (2002) 147頁〕。小笛は、17歳になる養女のAと2人で、京都帝国大学農学部からほど近い長屋に暮らしていた〔。その一方で小笛には、兵庫県神戸市の信託会社に勤務する、広川条太郎(廣川條太郞、ひろかわ じょうたろう)という、当時27歳の愛人がいた〔細川 (2002) 159頁〕。小笛は数年前まで出町柳で下宿屋を営んでおり、京大生であった広川はそこに下宿するうち、小笛と関係を持つようになった〔。やがて小笛は経営難から下宿屋を畳むなど困窮するようになったが、一方で広川も、大学卒業後も小笛との愛人関係を清算できないままでいた〔。 加えて同時期には、広川は小笛のみならず娘のAとも関係を持つようになっており、これに対し小笛は広川にAと結婚するよう迫った〔細川 (2002) 164頁〕。しかし広川には結婚の意志など毛頭なく、小笛に金を支払って済ますのみであった〔。経済的に行き詰まり、頼れる係累もなく、さらにはAが心臓弁膜症で長くは生きられないとの診断も受けたため、追い詰められた小笛は周囲に心中の意志を漏らすようになっていた〔細川 (2002) 166-167頁、169頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笛事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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