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小笠原丸[おがさわらまる]
小笠原丸(おがさわらまる)とは逓信省の海底電纜敷設船で、初の国産敷設船である。1,404トン。東京から小笠原諸島経由でグアムに接続する太平洋横断海底ケーブルの敷設を主目的に建造されたため「小笠原」と名付けられた。終戦の日を過ぎた1945年8月22日いわゆる三船殉難事件で沈没し、600名以上の犠牲者を出した。 == 国産初の海底ケーブル敷設船 == 「沖縄丸」に続く日本で2隻目の海底ケーブル敷設船として計画された。「沖縄丸」がイギリス製だったのに対し、三菱重工業長崎造船所で建造された本船は、初の国産海底ケーブル敷設船となった。竣工は1906年(明治39年)である。 就役した「小笠原丸」は、「沖縄丸」などとともに海底ケーブルの新規敷設や修理に従事した。1910年(明治43年)6月4日には、長崎県池島付近で遭難したロシア船を救助し、シャム王族一行および乗員100名を救出した。 太平洋戦争が勃発すると、軍の管理下で、引き続き海底ケーブルの敷設と保守に従事することになった。1945年2月16日には、下田港内でアメリカ航空母艦の艦載機の銃撃により損傷したが、沈没は免れた。1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾発表時には、同年6月から始まった北海道と樺太の間のケーブル敷設に従事していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原丸」の詳細全文を読む
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